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三年生編 第90話(3) [小説]

いかん。
集中力を高めるのはいいけど、それ以外何も見えなくなっちゃ
うのはまずい。

「とりあえず、連絡だけすぐ回しておこう」

しゃらは、バイト中かもな。
直電じゃなく、メールにしとこうか。

会長が破水したことだけをさっと流したら、すぐに直電が返っ
てきた。

「いっき! 会長、破水したの?」

「予定日より少し早いけど、そうみたい」

「あっきーから連絡?」

「違う。なんか会長んちがどたばたしてるなあと思って見てた
ら、実生にがっつりどやされて」

「いっぎいいいいいぃ! あほたれえええっ!!」

ううう。しゃらのどやしは実生以上に容赦ない。
金魚の木みたいにぽんぽんに膨れてるだろなあ。とほほ。

男と女って、こういうところでも温度差が出ちゃうんだな。
そういや、ピクトールでグリ−ンフィンガーズクラブの総会
やった時に、会長がご主人のことをどやしてたもんなあ。
あの人、私の苦労を何も知らないのよって。

僕も……まるっきり返す言葉がなひ。ううう。

「いっき、あっきーが向こう行ってるの?」

「いや、あっきーは進くんのお守り。あと、津川さんがこっち
来てる。お産扱いってことみたい」

「病院へは、ご主人が一緒に行ったの?」

「そう。それと荷物係で実生がついてった」

「そっか……」

僕の母さんが付き添わなかったってことで、しゃらは雰囲気を
読んだんだろう。

会長の家には会長の家なりのプライベートがあり、方針があ
る。
僕らは出来る限り会長のサポートをしたいけど、会長のリクエ
スト以上のことは出来ないんだ。

そう、進くんの時とはだいぶ状況が違ってる。
もうすでに子供がいるから、ご主人がべったり会長に付き添う
ことは出来ない。
そのハンデを、あっきーと津川さんがサポートするってこと。
身内だけで出産前後の役割分担をこなす計画にしてたってこと
だ。

ただ破水が予定より少し早かったから、慌ただしくなったんだ
ろうな。

「うーん、じゃあ、すぐに手伝いがいるってことじゃないんだ
ね」

「たぶんね。何かあれば病院に行った実生から指令が来るは
ず。それには備えとく。今日は動かないで自宅待機するわ」

「わかったー。何かあったら連絡して」

「うす」

「安産だといいね」

「僕らはそれを祈るしかないよ」

「うん」

「そいじゃ」

「はあい」

ふう……。

過去の清算。
進くんの出産の時には、会長はいろいろなしがらみを抱えてた。
でも今度の出産には、あの時よりずっと前向きに臨めるんじゃ
ないかな。そうだといいなと……思う。

あっきーが、会長の家を自分の第二の実家だと考えられるなら。
そこは、いつも賑やかで楽しい家になるはずだ。
いつかはそこに帰りたいと思える家に。

もしそれが実際には叶わないにしても。
あっきーは、自分の理想の家庭を思い描けるようになる。
こんな家にしたいなーってね。

「うん」


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三年生編 第90話(2) [小説]

さて。一休みしてから気合いを入れ直そう。
閉じたノートの上にシャーペンをぽんと放って席をたち、窓際
に立って会長の家の庭を見下ろした。

「ん? あれ?」

いつもはほとんど人の出入りのない、閑静な庭。
そこにいくつも動き回る人影が見える。

「ほよ? なんかあったんかな?」

気になって、慌てて階段を駆け降りた。

「どしたん? お兄ちゃん?」

どこか出かけるつもりだったのか、何かばたばた準備していた
風の実生に、確かめられる。

ああ、そうか。母さんはトレマのパートだ。
父さんは、今日健ちゃんちに行ってる。
家にいるのは僕と実生だけか。

「いや、会長んちが慌ただしいみたいで」

「あのねー、お兄ちゃん!」

突然ぎっちり怒り顔になった実生に、全力で突っ込まれた。

「会長は来月四日が予定日なの!」

ぎょわあああっ!!
や、やば……。

弓削さんのことやらさゆりちゃんのことやら、そっちで頭の中
がいっぱいになって、会長の出産のことがすっぽり抜け落ちて
た。

ざあっと血の気が引いた。

「なんか……あったんだろうか?」

「違うよ! 破水したの」

「!!」

「亜希お姉ちゃんが進くんを見てないとならないから、会長の
ご主人と一緒にわたしが病院に行く」

「す、すまん」

「どっちにしても、ご主人以外のオトコは病院に出入り出来な
いよ」

ふう……そうだ。

「助かる」

「わたしも付き添いは出来ないよ。持ってく荷物に足りないも
のとかあったら、それを持ってくるみたいな役目」

「なるほど。前はあっきーがやったけど、今回は進くんの面倒
見ないとならないから」

「そ」

「でも、あっきー、明日から学校あるのに、どうするんだろ?」

「お義母さんが来てるみたいよ?」

あ!

「そうか! 津川さんが来てるんだ」

「そうじゃないと無理だよー。だいぶ前からきっちり打ち合わ
せてたみたい」

「なるほどなー」

「ってことで、わたしすぐ出るから」

「わあた。安産をお祈りしますって言っといて」

「うん!」

会長の出産予定がすっぽり頭から抜け落ちてた僕に、きっつい
視線をぶん投げながら。
実生が、さっと家を出て行った。

「ぐぶー」


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三年生編 第90話(1) [小説]

8月30日(日曜日)

「八月も、今日と明日で終わりかあ」

ものすごく高密度だった八月が、もうすぐ終わる。

新学期は始まってるけど、僕の頭の中に色々あり過ぎた夏休み
の影響がべったりこびりついてて、気持ちがなかなかすぱっと
切り替わらない。

新学期が始まっても、夏休みの余熱で進んでいるような惰性感
があって、時間をかけて勉強している割にはあまり身に付かな
かった。
でも、そろそろギアを上げて行きたい。

僕的には、戦う条件はきっちり整ったと思う。
志望校とそこでやりたいことを固めて、受験本番に向けて自分
を研いで行く作戦を立てた。
進路指導の先生からもゴーサインが出た。

早くからすぱっと方針を決めて動き出した子に比べて、なんと
なく未消化のまま動き出しちゃった感じが残ってるけど。
だからって、ずっとぐだぐだ考えてもしょうがない。

何をどんな風に決めても、必ずそれに対する後悔や反省はある
んだろう。
ベターはあっても、ベストってのは最初からないんだ。
そう……割り切りたい。

机の上に模試の予定表を置いて、今後受ける予定のやつをマー
カーでチェックする。

「これまでと同じじゃまずいんだよなー」

これからの模試は、今までとはカラーが変わってくる。
模試を通じて自分の弱点を抽出し、それを出来るだけ早く改善
しなさいっていうのが、これまで。
でも、これからのは筋トレに近い。

どこ間違ったかを今さらちんたらチェックしてるようじゃ、い
つまで経っても基礎トレの域から出られない。
これまでより強い負荷をかけて、試験そのものに自分の頭と
ハートを慣らす。

理解より習熟が目的になる。

学校の授業にも、くそまじめに付いて行く必要はない。
終わらせられるものは自分で早く終わらせといて、必要な部分
だけを繰り返し叩き込まないと、無駄ばかりになる。
これまで以上に時間の効率利用が求められるんだ。

時間割を見ているうちに、思わず舌打ちしちゃった。

「ちっ!」

そうなんだよね。
自分ではきちんと計画的にやってきたつもりでも、ものすごく
甘く見ていた部分があったんだ。

それは……学校側でセットしてるカリキュラムの解釈。
僕はこれまでの学年と同じだと思い込んでて、きちんと確認し
てなかったんだ。
でも、三年のカリキュラムは一、二年と全然違うんだよね。

三年の二学期には、中間がない。
11月にある学期末の試験が、ラストの定期試験なんだ。
そして一般受験組にとって、その成績には意味がない。
定期試験の結果で一喜一憂してるようじゃ、一般受験のハード
スケジュールを乗り切れないから。

一般受験組は赤さえ取らなければいい。
学校側も、基準を大幅に割り込まない限りは結果を大目に見る
と思う。
一、二年に課している赤点組への追試は、二学期の三年生には
意味がないからやらないんだ。

全ては、受験本番で僕らが最高のパフォーマンスを発揮出来る
態勢へと絞り込まれて行く。

「く……」

僕はせっかちでも堅実でもない。
本来は、あっちこっち抜けてるのんびり屋だ。
自分を追い込み過ぎて壊したくないっていう思いがどっかこっ
かにあって、自分のゆるみをあえて許容してきたところがある。

ものすごく怠けてたつもりはないけどさ。
でも、手を抜いたら全部ぱーになるっていう危機感が薄かった
んだ。

だけど。
人生には、どうしても切り抜けなければならない極度の緊張を
強いられる時が、何回かはあるんだろう。

コンディションを決戦の時にマックスに持ってくなら、これま
で以上のペースで自分をどやしつけていかないと……。
最後に大ドジをこきそうな気がする。

「ふうっ!」

金魚の木みたいに頬をぷうっと膨らませて、自分の甘さをがっ
つりどやしつけた。





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三年生編 第89話(8) [小説]

県博から帰って部屋で勉強してたら、夕方にしゃらから電話
がかかってきた。

「あ、いっきぃ。ずっと家にいたの?」

「いや、夏休みはほとんど寺と家に缶詰だったからさ。気晴
らしに県博に行ってきた」

「あ、いいなあ。楽しそう」

「ううう、とんでもない。大失敗だった」

「え? どして?」

「小中は、まだ夏休みのところがあるんだよな。自由研究の
駆け込みと、恐竜化石の移動展が重なって、すさまじい芋洗
い状態」

「うわ……そっかあ」

「常設展示の植物のブースは人が少なかったから、そっちを
じっくり見てたんだ」

「ふうん」

「で、そこで神村さんに会ってさ」

「あ、去年案内してくれた学芸員さんね」

「うん。元気そうだったよ。しゃらは一緒にいないのって
突っ込まれちった」

「あはは!」

「それはそうと、アガチスはどうだった?」

「うん。結構歴史のあるところだから、建物とかは少し古め
かなー。でも落ち着いてて雰囲気はいい」

「印象は悪くないわけね」

「だって、レベル高いもん。推薦は微妙だなー」

「……そっか」

「でもね、案内してくれた先生に言われたの。推薦がだめ
だったからあとは一般入試っていうわけでもないんだって」

「へえー!」

「特待や推薦の枠が埋まってから、次はAO入試。そっちは
小論文と面接だけで、センター試験が組み込まれないの」

「ええー? 一般入試とすっごい落差が……」

「その分、これまでの高校での成績とか部活の実績とかが
しっかり査定されるの。高校入試の内申点みたいな感じ?」

「あ、そうかあ」

「AOは、何か自己アピール出来るものがないとしんどいら
しいんだけど、プロジェクトの受賞はばっちり売りになるみ
たい。わたし、副部長だったし」

「やりぃ! 苦労した甲斐があったってことか」

「うん! でも、推薦の方がプレッシャー少ないから、そっ
ちで決まって欲しいけどなあ」

「確かになー。あ、そういや見学は誰と行ったん?」

「美樹ちゃんと三田さん」

どっごーん……。

「あわわ。まあた、すごい組み合わせだなあ」

「まあね。美樹ちゃんはもともと栄養科狙いじゃないし、金
魚のうんちはもう勘弁して欲しいんだけどなあ」

「それでも、見に行こうって思うだけでもマシじゃん」

「そうね。楽しそうだった」

「三田さんは?」

「わたしと同じで栄養科本命。ただ……推薦は取れそうにな
いって。一般入試になりそう」

「どっか他と併願にするのかな」

「そうみたい。アガチスがベストだって言ってたけど」

「がんばって欲しいなあ。あのガタイなんだしさ」

「あはは。もう目立ちまくってたわ」

ひっひっひ。そうだろなあ。

「県立大のオープンキャンパスは九月末だったっけ?」

「そう。もうちょい早くやって欲しいんだけど、公立のとこ
だとスケジュールが動かせないんだろね」

「そっかあ。併願のとこは見に行くの?」

「行かない。合格しても、そこには進学しないから」

「なんか……もったいないね」

「まあね。でも、レベルの高いところにチャレンジするって
いうモチベーションがないと、怠け者の僕は緩むもん。模試
でもそういう傾向があるし」

「そんな風に見えないけどなあ」

ふと。マツカゼソウのことを思い出す。
なよなよしているように見えて、実はすごくしたたかなマツ
カゼソウの生き方。
でも、僕らだってみんなそうなんちゃうかなあって。

人がいいように見えて、実は頑固で筋を曲げないしゃら。
がたいがいいのに、実はものっそびびりの三田さん。
揺るぎない信念の人に見えるけど、実はナイーブな神村さん。
僕だって、見かけほどしっかりしてるわけじゃない。

そういう外面と内面のずれは、きっと誰もが持ってて。
めんどくせーとかぶつぶつ文句言いながら、そういうずれと
付き合ってるってことなんだろう。

「ずーっと先のことみたいに感じてたけど。だんだん本番近
くなって来たんだよなあ」

「ううう。考えたくないー」

「だよなー。なんとか乗り切ろうぜ」

「そだね。じゃあ、また明日ー」

「うっす」

ぷつ。

「ほ。珍しいなー」

いつもはもっと引っ張ろうとするしゃらが、あっさり自分か
ら切った。
それだけ、出口がはっきり見えてきたってことなんだろな。

「出口か……」

それを、本当の『出口』にしてしまわないようにするために
も。

「もう一踏ん張り。だな。なよなよのマツカゼソウになんか
負けてたまるか!」




matkz.jpg
今日の花:マツカゼソウBoenninghausenia albiflora var. japonica




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三年生編 第89話(7) [小説]

そうだ。せっかく神村さんと話す機会が出来たんだから、も
う一つ聞いておこうかな。
母さんが持ち込んだあの草。マツカゼソウのこと。
なんか、まだ謎がありそうだったし。

「あのー、話が変わっちゃうんですけど、一つ聞きたいこと
が」

「なに?」

「神村さんは、マツカゼソウってどんな草か知ってます?」

「ああ、変わった草ね」

「変わってるんですか?」

「ミカン科の植物は、ほとんどが木。木本なの。でもマツカ
ゼソウは草。おもしろい選択よね」

「へー! 知らなかった」

「そしてね。それほどメジャーな植物じゃなかったんだけど、
日本の中西部の森林で、地味に分布を広げてるの」

「どうしてですか?」

「あの草は、独特の匂いを持ってる」

「はい。なんか、薬臭いっていうか」

「その嫌な匂いがもとで、草食動物がマツカゼソウを食べた
がらない。食べ残されるの。不嗜好植物っていうんだけどね」

「わ! そっかあ!」

「今ね、日本全国の山ですごい勢いでシカが増えてて、シカ
の好きな植物はあっという間に食べ尽くされちゃうの。でも
シカに食べ残されるマツカゼソウは、競争相手がいなくなる
からじわじわ増えるんだよね」

「やわっとした草に見えたんですけど、したたかなんですね」

「そう。植物は見かけによらないわ」

知らんかったー。帰ってから、母さんに教えてやろう。

神村さんが、研究パネルを見ながらこそっと笑った。

「見かけによらない。本当にそうね。見るからに傷だらけ
だったみずほの方が、先に幸運を捕まえた。わたしは自分で
はタフだと思ってたけど、見かけほど強靭じゃなかった。そ
ういう事実から目を反らすと、嘘を飲まないとならなくな
る」

嘘を飲む、か。

「研究者なら、もっと事実をシビアに見ないとだめだなー。
はあ……」

やれやれというように首を振った神村さんは、それでも明る
く挨拶して帰っていった。

「ゆっくり見てってね。みずほにはよろしく伝えといて」

「直接連絡されないんですか?」

「その場の勢いで、なんか余計なこと言っちゃいそうだから
さ。あはははっ!」

なんとなくその様子が目に浮かんで、僕は苦笑するしかな
かった。
神村さんて、言葉遣いは丁寧だけど、突っ込みがごっつ厳し
いからなあ。

「はあい」





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三年生編 第89話(6) [小説]

どうしようか迷ったけど、学校ではすでに結婚の事実を公開
してるんだし。

「あのー」

「うん?」

「中沢先生。結婚されました」

どすん!
神村さんの腰が砕けた。

「う、うそ……」

「一ヶ月ちょっと前に入籍されてます。今は、桧口さんに姓
が変わってます」

よろよろと立ち上がった神村さんが、探りを入れてくる。

「……お相手は、何してる人?」

「理容師さんです。すごく優しい人ですよ」

「ふうん。君のよく知ってる人?」

「しゃらのお父さんのお店で働いてますから。僕も髪を切っ
てもらってます」

「あら!」

しばらく黙って考え込んでいた神村さんは、ぽろりと疑問を
口に出した。

「ちゅんのことは吹っ切れたのかしら」

「吹っ切る以前で、ちゅんさんとは全然意思疎通が出来てな
かった気が……」

「そうね」

「今のご主人とは二年近くのお付き合い。相手とゆっくり交
流を重ねてゴールインて感じで、無理がないです」

「そっかあ」

神村さん、なんか悔しそう。

「結婚式は?」

「あげないそうです。中沢先生にもご主人にもご両親がいま
せんから」

それで。
中沢先生とかんちゃんの結婚に訳があることは分かったと思
う。

「なるほどね。でも、幸せそうなんでしょ?」

「間違いなくそうですね。周りじゅうにのろけまくってます
よ」

「ちっ!」

わははははっ!

前にボタニカルアートの展覧会で来た時には、神村さんの左
手の薬指に結婚指輪がはまっていた。
事故死した恋人とのつながりを、それで辛うじて引き止めて
るって感じがしたんだ。

でも。
指輪はもうはまっていなかった。

「あの、神村さん。指輪……」

「ああ、外したの」

「外せた……んですか?」

「掛け算の片一方にゼロを入れたら、他にどんな数字を入れ
ても答えがゼロになっちゃうでしょ?」

うわ、すげえ。

ふうっと大きな溜息をついた神村さんが、忌々しそうにぺっ
と言い捨てた。

「みずほのことを偉そうにああだこうだ言ってる時点で、わ
たしも終わってるってことね。情けない」

神村さんが、研究パネルを指差してすぱっと言い切る。

「タンポポは、こうなりたいと思って合いの子を作るわけ
じゃない。交雑して、その結果が親より強ければ生き残る。
それだけ」

「はい」

「そういうタフネスは、ちゃんともらわないとね」

ぐんと胸を張った神村さんが、にやっと笑った。




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三年生編 第89話(5) [小説]

「ええー? 県立大でバイオ? なんでまたそんなマイナー
な選択を?」

「いろいろ条件があるんですよ」

「条件、かあ」

「はい。まずうちの経済状態。国公立以外は無理」

「うん」

「田貫市から遠いところだと、しゃらのサポートが出来ない」

「病気?」

「しゃら本人じゃなくて、お母さんが……」

「うーん、そっかあ。今のお住まいからもっとも近い生物系
が県立大ってことね?」

「ですです。僕の実力から見ても、背伸びでも楽勝でもない。
負荷がちょうどいいし」

「合格したら自宅から通うの?」

「いえ、下宿します」

「……」

神村さんが、僕から一歩離れて僕をぐるっと見回した。

「しっかりしてるわねー」

「いっぱい悩みましたから」

「そうね。わたしもみずほもそうだった。みんな、一度は通
る道ね」

神村さんにそう言ってもらえて、ほっとした。

「あ、そういや」

前々から聞いてみたかったんだ。

「中沢先生は、なんで生物をやることにしたんですかね?」

「ああ、みずほのはちょっと変則ね」

「そうなんですか?」

「そう。あいつは物理や化学が大嫌いだったの」

どごー……ん。
なんだよう。それって僕と同じじゃん。

「それなら素直に文系行った方が……」

「無理よ。中身がぱりっぱりに乾いてたから。今はどうかし
らないけど」

「乾いてる……かあ」

「文学、経済、コミュニケーション系。どれ一つとっても、
人と社会を中心に据えた分野でしょ?」

「あ、そうかあ」

「みずほの人嫌いは筋金が入ってるからね」

「大学でもそうだったんですか?」

「そう。一見ウエルカムなんだけどね。あるラインから内側
には絶対に入れてくれない。そこに入れたのはちゅんだけか
な」

「なるー」

「でも、ちゅんはみずほ以上の人嫌いでしょ? みずほが努
力しても中に入りきれなかった。似た者同士じゃね」

「やっぱかあ」

「みずほはきっと晩婚ね。それも、あの病的な人嫌いを克服
出来ればの話。下手すりゃ、生涯シングルかもね」

む。
そうか。中沢先生は、結婚した事実を本当にわずかな人にし
か知らせてないんだろうな……。





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三年生編 第89話(4) [小説]

中学の時に、全てのクラスメートが敵になってしまったしゃ
ら。
誰もしゃらを受け入れてくれなかっただけじゃない。
しゃら自身が、誰も受け入れなかった。
誰かを心の中に入れることを、徹底的に拒絶してたんだ。

自分を孤立させ、自分の中に手を突っ込もうとするアクショ
ンを遮断することで自分を守る。
それは……大怪我したあとの僕の心境とぴったり一致するん
だ。

つまり。僕は、しゃらにとっては鏡に映った自分の姿。
それが自分の姿であれば、疑う必要なんかどこにもない。
でも実際は、僕としゃらとは全く別の人間だよ。
過去がどんなに似ていても、中身はまるっきり別物。

しゃらは、そこをまだきちんと切り分けることが出来ない。

自分が自分を裏切る。
鏡に自分でないものが写ってしまう。
どうしてもそれを見たくないしゃらは、鏡からはみ出た僕を
無理やり引き戻そうとする。

それが……ジェラシーって形に見えるんだよね。

これまで揉めた時にずっと言ってきたこと。

『そんなに僕のことが信用出来ない?』

うん。それはどんなに言っても意味がなかったね。
信用以前で、自分が割れる危険性をジェラシーって形で表現
してるだけだから。
僕が何百万回信用してって言い続けても、しゃらのアクショ
ンが変わることはないと思う。

しゃらの心理をどう考えるか。
しゃらと出会ってから今までの間に、それが僕の中でどんど
ん変わってるんだ。
今、僕が推理したしゃらの心中だって、本当にそうかどうか
はしゃらに聞かないと分からないし、しゃら本人にだってう
まく説明出来ないかもしれない。

心理。心の動き。
形のないものを言葉にして、説明したり、説得したりするこ
と。
それは……お遊びならいいけど、自分の興味の中心に据える
のはしんどいなあと思うんだ。

バイオには、そういう曖昧さの部分が少ないんじゃないか。
もっと、いろんなことをシンプルに考えられるんじゃないか。
もちろん、本当にそうなのかどうかは学んでみないと分から
ないけどね。

「こんにちは。お久しぶり」

「え?」

いきなり真横から声をかけられて、ぎょっとして振り向いた。

「あ、神村さん。お久しぶりですー」

「彼女は?」

しゃらを探して、神村さんがきょろきょろ辺りを見回す。
とほほ。僕としゃらは必ずセットになってると思われてるら
しい。

「しゃらは、進学予定の短大のオープンキャンパスに行って
るんですよ」

「あら。一緒に行かなかったの?」

「さすがに女子短大じゃ……」

「男性入場禁止?」

「そうです」

「そっか。それじゃしょうがないよね」

「はい」

「君は?」

「県立大は十月なんですよね」

「あら! わたしやみずほのとこ狙い?」

「あはは。そうです」

「そっかあ。動物やる感じには見えなかったけど……」

「バイオです」

ずべっ。神村さんがずっこけた。




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三年生編 第89話(3) [小説]

「うーむ……」

ちと予想外だった。
がらがらに空いてると思ってたんだけど、めちゃめちゃ混ん
でるやん。

「そっか。小中学校は、あさってから新学期だったとこもあ
るのかー」

ちぇ。ちびっこはいいよなー。

そりゃあ、特別展で恐竜化石とか並べてたら子供たちはすっ
飛んでくるよね。
それだけじゃなくて、夏休みラストってことで自由研究関係
での来館者も相当いるみたいだ。学芸員さんの周りが芋洗い
状態になってる。大変そうだなー。

僕はごった返してる特別展示をパスして、常設展示のフロア
に回った。
常設の方も、動物とか虫系はすごく混んでる。
植物の方はそれほどでもないから、前に来た時にさっと通り
過ぎてしまったところをじっくり見て回った。

「お」

中沢先生の先輩って言ったっけ。
学芸員の神村さんが、僕らが去年行った時に話してくれたタ
ンポポの雑種のことが、パネルにまとめられていた。

「……」

雑種であるというのを、どう識別するのか。
外見では、合いの子になってるのが分からないケースもある
んだな。
それは遺伝子を解析して、比べてみないと分からないってこ
と。

「うん」

そうなんだ。
僕がバイオをやろうと考えた動機の一つは、実はここにあっ
たんだ。
遺伝子とかバイオとか、それが面白いと思ったわけじゃない。
でも、分かりやすいと思ったんだよね。

僕だけでなく、いろんな人が疑問に思うこと。
分からないと思うこと。なぜ? どうして?
それには、答えが得られる場合も、分からないままの場合も
ある。

全部が分かるはずなんかないけどさ。でも、こうやったら分
かるんじゃないかなって方法を探すことは出来るじゃん。
そこが……なんとなく浮かんで見えたんだ。
自分が考えたことに出口があるって、いいなって。

瞬ちゃんに勧められた心理学。
僕もすごく面白そうだと思うし、たぶん僕には向いてるんだ
ろう。
でも、見えない心の中に手を突っ込む怖さは、手を突っ込ま
れた僕にしか分からない。

妹尾さんがやってるみたいなカウンセリングの仕事は、僕に
は一生出来ないと思う。怖くてね。
そしたら、心理学を学ぶ意味が小さくなっちゃうんだ。
そこが……僕にはどうにもすっきりしなかった。

心理。心の動き。
その場ですーすらぽんと分かることなんか、一つもない。
ずっと僕の側にいるしゃらの心ですら、僕はまだきちんと分
かってないもん。

腕組みして、これまでの僕としゃらとの関係を思い返す。

去年の夏のごたごた。
しゃらの異常なまでのジェラシーの直撃を受けて、あの時に
はしゃらの心の中なんか読んでる余裕はなかった。

今はしゃらとの関係が落ち着いてるけど、しゃらの心の中が
あの頃から劇的に変わってるわけじゃない。
逆。僕は……何も変わってないと思ってる。

どうしてそう思うかって?
弓削さんのケアの時のごたごた。
その図式が、去年と全く同じだったからだ。

ひっきーのジェニー。壊れかけの弓削さん。
僕が彼女たちへの同情を踏み超えて、好意を抱くところまで
行っちゃうんじゃないか。
しゃらのそういうジェラシーは、一見独占欲とか、自分に自
信が持てないひがみから来ているように見える。

でも……。
僕はそうじゃないと思うんだよね。

僕としゃらは、中身が恐ろしいほどよく似てる。
強烈な人間不信の塊が、心のど真ん中にどどんと居座ったま
まなんだ。

僕はしゃらを疑わないよ。
しゃらは一途だし、これまでも僕以外のオトコとの接触を潔
癖なくらい避けてる。
でもね、それは僕を好きだからってだけじゃないと思う。
たぶん……僕しか信用出来ないからだろう。





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三年生編 第89話(2) [小説]

「アガチスの他は見ないのかしら」

「しゃらとしては、他にもいくつか見たいとこはあると思う
よ。でも、今はちょっと時間の調整が厳しいよな」

「あ、お母様のことがあるからか……」

「そう。その日にならないと、お母さんの体調が読めないみ
たいで」

「お辛そうね」

「本当は病院でもう少し療養した方がいいらしいんだけど、
仮住まいの間は……ね」

「確かにね。あと一ヶ月くらいの辛抱ね」

「うん。そこまでなんとか乗り切らないとさ」

「御園さんは、進学の見込みはどうなの?」

「微妙」

「……」

「お金の問題より、受験回避出来るかどうかがほんとにボー
ダーライン上みたいで」

「あ、推薦狙いかー」

「お母さんの面倒を見ないとならない以上、一般入試はめっ
ちゃきついわ。なんとか学校推薦取りつけないと」

「なるほどなー」

「一学期の期末は、いろいろアクシデントが重なった影響で
今いちだったみたいで」

「お兄さんのこととかいろいろあったものね。じゃあ。それ
を二学期でどれだけ挽回出来るか、ね」

「そう。三年の二学期は中間がないから、一、二年より早く
実施される期末の成績が最後の勝負になるの」

「ううー、プレッシャーはんぱなさそう」

「推薦て言っても、決して楽じゃないってことはよく分かっ
たわ」

「結果はいつ頃分かるの?」

「早ければ年末もしくは年明け早々だって。高校側で推薦者
のリストを作って、向こうに打診。向こうの選考をクリアし
たら、面接があって確定。そういうことみたい」

「そうか……勝負ねえ」

「あいつ、いろいろあるのを堪えて堪えてここまでたどり着
いてるんだ。努力が実るまでもう一息なんだよ。頑張って欲
しいな」

「そうね。あんたは?」

「これから追い込みさ」

「気を抜かないようにね」

「当たり前だよ」


           −=*=−


とは言っても。夏休みの間ずっと勉強勉強で、頭の中が飽和
寸前になってる。時々は息抜きしないと根性が保たない。

いつも気晴らしに出かける場所じゃなくて、しばらく行って
なかったところに行ってみようかな。

桂坂で館長さんと話すのもいいかなーと思ったんだけど、行
けば必ず悪魔の話になりそう。それじゃ、頭が空っぽになん
ない。

「お、そうだ。県博に行ってみよう」

ジェニーに絡んじゃったから足が遠のいてたけど、施設とし
てはおもしろいなーと思ってたんだ。
一人でじっくり展示を見て、集中出来るし。

場所が場所だけに、私服では行けない。
制服に着替えて家を出た。
天気が安定してるから、少し遠いけどちゃりで行こう。

「県博ねえ。お昼は?」

「向こうで食べてくる。県博の近くにファミレスがあるんだ」

「そっか。気をつけてね」

「ほい。出まーす」

「いってらさい」


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