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三年生編 第74話(4) [小説]

と。
矢野さんとずっと話していたかったんだけど、あいつらは僕
が連中を無視して矢野さんと話していたのが気に入らなかっ
たんだろう。

「このクソ生意気なガキゃあ! どつき倒すっ!」

いきなりごつい方の一人が殴りかかってきた。

合気道で取り押さえてもいいし、逃げてもいいんだけど、判
断がつかないうちに拳が飛んできた。

がしいっ!

避けきれずに殴られたかなあと思ったら、矢野さんが相手の
拳の横に拳を当ててパンチを逸らしていた。
パーリング。相変わらず鮮やかだなあ……。

「工藤さん、こいつら知り合いか?」

「東京に知り合いなんかいませんよ」

「ああ、じゃあ半端もんか」

矢野さんは、僕の横で連中と睨み合っていた立水の襟首を掴
んで僕の方に押しやると、前に出た。

「ガキども。警察呼ばれたくなかったら、とっとと帰ってク
ソして寝ろ」

げ……。挑発した……よ。

「こ、この野郎!!」

五人の中で、がたいのいい二人が激昂して突っかかってきた。

どん!
クラウチングスタイルになった矢野さんが、先に突っかかっ
てきた男の横腹に高速のショートフックを放った……らし
い。
がくっと膝を折った男が、悶絶しながらごろごろと路面に転
がった。

パンチの軌道が全く見えない。
ヤンキーは、何をされたかも分からないだろう。

男が手で押さえてる場所から見て……レバーか。
浦川さんが一発で沈んだやつだ。
あれは……当分立てないと思う。うう、すげえ。

「ぎゃあぎゃあ騒ぐだけで、きちんとボディを鍛えねえから
そういうことになんだよ。分かったか? ガキが」

唖然としていたもう一人の男は、血相を変えてナイフを腰か
ら引き抜いて構えた。

「ぶっ殺してやる!」

「ほう?」

プロボクサーでも刃物を向けられれば怖いと思うんだけど、
糸井夫婦の用心棒をやってた矢野さんはこういうシチュエー
ションに慣れてるんだろう。顔色一つ変えない。

男に頓着しないでくるっと振り返った矢野さんは、怯え顔を
見せていた悪魔に話しかけた。

「さや。よく見とけ。おまえは肝心な時に怯えが出る。相手
に勝つ前に、自分の弱さに勝てんと試合にならんぞ?」

「……はい」

この修羅場で教育すか! 絶句……。

ナイフを構えた男は、それで相手がびびると思ったんだろう。
でも、矢野さんは平然としてる。

男を無視して悪魔に話しかけたことで、いきなり逆上した。

「くたばりやがれえっ!!」

逆手に持ったナイフを振り下ろした場所には、矢野さんはも
ういない。

「どうした? 空気を切って楽しいか?」

「こ、こいつ」

店の前には僕らを遠くから取り巻くようにして幾重にも人垣
が出来ていた。
その人垣の輪の中にさゆりんが入っていることを確認して。
あとは、矢野さんのアクションの邪魔をしないよう僕らは下
がった。

いくら男がナイフを振り回しても、その射程には矢野さんが
いない。刃先の動きを見切り、軽やかにステップを踏んで躱
し続ける。

すぐに、男の息が上がってきた。
矢野さんは、平然。

「なんだなんだ。根性のねえやつだな。もうへたばってんの
か? まだ1ラウンドも終わってねえぞ?」

「うるせえっ!!」

腹のところに両手でナイフを構えた男が、矢野さんに突進し
ようとした。矢野さんが避けると後ろの野次馬にナイフが当
たっちゃう。だから避けられない。
男は、そう計算したと見た。

「ふん。仕留めるか」

でも、矢野さんはどこまでも冷徹だった。

距離を離すんじゃなく、逆に一気に距離を詰めて、こめかみ
にジャブを出した。

ごっ!

男の出足が止まると同時に。
そのまま前にばったり。

「あほう。プロボクサーがグローブなしでパンチを出したら、
ナイフよりこええんだよ。ちっとは勉強しろ」

「あの」

確かめる。

「手加減……」

「してるぜ。軽いジャブさ。でも、突っ込んでくる勢いがあ
るから、カウンターになる。脳震盪でしばらく起き上がれね
えよ」

「すげえ……」

立水が、目をまん丸にして矢野さんを見てる。

騒動を見た人が警察に通報してくれたんだろう。
やっとこさ、警官が二人やってきた。

人垣に囲まれて、逃げたくても逃げられないヤンキーの残り
三人とさゆりん。そのまま御用。

しゃあない。乗りかかった船だし、今日は付き合うか。
まだぽかんとしていた立水に伝言を頼む。

「立水。このあと警察で事情を聞かれると思うし、僕の関係
者もいるから、ここで別れようぜ」

「へ!? 関係者だあ!?」

さゆりんを指差す。

「又従妹なんだ。ちょい、親戚付き合いがあってね」

「……。わあた」

「携帯を取り上げられてるから、公衆電話からしか連絡出来
ない。重光さんに事情を話しといて。そんなに遅くなること
はないと思うけど、確約は出来ないから」

「そうだな。話しとく」

「助かる」

僕と立水が打ち合わせをしている間、矢野さんが警察の事情
聴取に手際よく答えていた。
こういうケースでの応対には慣れてるんだろう。
来知大の学生を処刑した時もそうだったんだろうなあ……。


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三年生編 第74話(3) [小説]

トレイと紙ゴミを片付けて、ぽんと店舗の外に出た途端。

目と鼻の先を、かなりガラの悪そうな若い男たちが数人肩を
いからせながら通り過ぎていった。ちょっと店を出るのが早
かったら、出会い頭にぶつかっていたかもしれない。

「あっぶねー……」

小声で言ったのが、その男たちの誰かの耳に入ったのかもし
れない。

僕らの数メートル先で足を止めた連中が、一斉に僕らの方に
振り返った。

僕は気付かないふりをして反対側に歩いて行こうとしたんだ
けど、同行していたのが立水だということをすっかり忘れて
いた。

「なんだ? 態度のでかいガキが! ガンつけやがって!」

うわ……ま、まずい。
立水も知らんぷりすればいいのに、絶対に目を逸らさない。

「おまえらの知ったことか」

火に油。
ま、まずい。
まずい、まずい、まずい、まずいーーっ!!

新宿のど真ん中でがらの悪い連中と乱闘でもしようものなら、
絶対に学校のお咎めなしじゃ済まない。
それ以前に、ここから無事に離脱出来るかどうかが……。

慌てて、連中の人数を見回して戦力判断しようとして、固まっ
てしまった。
男どもの一人に抱え込まれるようにして女の子がぼーっと立っ
てた。その子に……見覚えがあった。

「さ、さゆりん」

派手な服。下品な化粧。染めた髪、じゃらピアス。
完全に崩れてる。
でも格好とは裏腹に、表情にまるっきり生気がなかった。
信高おじちゃんの家を飛び出してから、さゆりんがどういう
経過を辿ったのか、一目瞭然で分かる。

「しゃれに……ならん」

ガラの悪い連中は全部で六人。
でも、腕っぷしがいいのはそのうち二人なんだろう。
年齢や体格がくっきりその二人だけ違う。
そいつら以外は、さゆりんを含めて取り巻きだと見た。

僕と立水だけなら隙を見て逃げればいいんだけど、さゆりん
が心配だ。なんとか足止めして、警察を入れたい。

くそおっ!
どうして、こうなんでもかんでもいっぺんに降ってくるかな
あ!

ぞろぞろと僕らの方に向かって戻ってくるヤンキー。
逃げるなら今だけど……立水はやる気満々だし、僕もさゆり
んを置いては……。

「おう」

今度は僕らの反対側からいきなり低い声がして、慌てて振り
返った。

おおっと、びっくりぃ!!

「あああっ!! 矢野さん!!」

「はっはっは! 工藤さん、久しぶりだなあ」

「久しぶりですー! 今日はどうしたんですか?」

近付いてくるヤンキーにちらちら目をやりながら、素早く確
かめる。
矢野さんが、背後に顎をしゃくった。

「こいつをスパーリングに連れてったんだよ。もうすぐCラ
イのテストだからな」

「うわ!」

そこに、久しぶりに見た悪魔がいた。
いくら今日が涼しいって言っても、真夏に長袖のサウナスー
ツ着てうろうろすんのはしんどそう……。

でも、眼が前見た時と全然違ってた。
最初の頃は、いつも人を突き刺すような邪眼。
騒動で目力を失ってからは、どろんと濁って、腐ってた。
でも今の眼は……飢えで満たされてぎらぎらしてる。

「トレーニングは進んだんですか?」

「進んだぜ。まだ体がきちんと絞り切れてねえし、取り組み
にも甘さがあるけどな。でも、基礎トレはちゃんとこなせる
ようになった」

そう言った矢野さんが、悪魔にではなく、僕にひょいとジャ
ブを出した。

ぎりぎりでスウェイして躱す。
今度はミット打ちの要領で手のひらを出してきたから、その
手のひらにとんとんとリズミカルに拳を当てる。

「おう。腕はなまってねえな。トレーニングは?」

「してませんよー。悲しき受験生ですから」

「はっはっは! 受験が済んだらジムに来い。がっちり絞っ
てやっからよ」

「えうー」