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三年生編 第73話(5) [小説]


「ん?」

外が、がやがやと騒がしい。

なにかなーと思って起き上がると、なにやら話をする声。
重光さんの声の他に、僕らが聞いたことのない大人の声が混
じっていた。

ああ、さっきの彼女の親が迎えに来たんだろうな。

僕にくっついてここに来たばかりの時には、死んでも家にな
んか帰るものかと思っていただろうね。
でも蒸し暑くて蚊だらけの上に真っ暗で不気味な講堂は、普
段快適な暮らしをしている彼女にとって、間違いなく地獄だ
よ。
その上空きっ腹抱えて夜を一人で過ごせっていうのは、とて
つもなくしんどかったんだろう。

あっさり白旗を揚げたとみた。

重光さんも、女の子が感情の勢いのまま飛び出したってこと
をよーく分かってて、ちょっとだけ世の中の厳しさを体験さ
せたってことなんだろうな。

彼女は、重光さんの仕打ちをとんでもなくひどいと思うんだ
ろうか?
でも重光さん的には、そんなのどうでもいいんだろう。

ちゃんと現実を見ろい!
彼女に突きつけたのは、それだけなんだろな。

「それにしても暑い……」

来た日も暑くてよく眠れなかったけど、今晩もしんどそうだ。

「おい」

お、今度は立水か。

「なに?」

「おまえ、明日も講習あるのか?」

「午前中だけね」

「同じか。ちょい、新宿に出ようと思うんだが、付き合わん
か?」

めっずらしーっ!
どういう風の吹き回しだ?

でも、ここに来てからずっと気を張り詰めてたから、どっか
で息抜きがしたかったのは確か。渡りに船だ。

「どこ行くんだ?」

「ヨドバシに行きたい。そんなに時間はかかんねえ」

「ふうん。ヨドバシかあ」

「イヤホンが壊れちまったんだよ」

「あ、それは不便だなあ」

「スマホに英語のディクテのプログラムが入ってるからな。
イヤホン使えないと困る」

うわ……音楽じゃないのか。すげえ。

「わあた。付き合うよ」

「助かる。向こうで昼メシ食おうぜ」

「了解。どこで待ち合わす?」

「直接西口のヨドバシに来てくれ。それが一番無駄がねえ」

「そだな。何階?」

「一階のアップルコーナー」

「おけー。時間は?」

「一時に来れるか?」

「一時はちときつい。一時半は?」

「わあた。それでいい」

「じゃあ、そゆことで」

「ああ」

僕がもう一度布団の上に転がろうとしたら、立水がさっき声
がしていた方角をじっと見やっていた。

「立水、どうした?」

「いや、親が迎えに来たんだなあと思ってよ」

「そらそうだろ。まともな親なら必ず来るよ」

「そうか?」

「僕は、とうとう親が迎えに来なかった人を何人も知ってる。
そういう人たちが、そのあとどうなったかもね。そういうの
を見ちゃうとさ」

「ふうん」

親とか家とか。
僕らがあって当たり前だと思っている容器から、こぼされて
しまうこと。それは……本当に不幸だと思う。

でも親や家庭がどんなにしっかりしていても、いずれ僕らは
そこからこぼれる。

離別の時が……刻一刻と近付いてくるのを。その足音を。
僕は……闇の奥から聞きつける。

「じゃあ、おやすみ」

「ああ」




pachyst.jpg
今日の花:パキスタキス・ルテアPachystachys lutea



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