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三年生編 第72話(4) [小説]

「く……」

僕は……怖いんだろう。
今を失うのが。

高校に入ってから、僕はすごく恵まれてる。
それまでどんなに心の底から望んでも、欲しくても、どうし
ても手の届かなかったものが、次々に手に入ったんだ。

理解者。友達。先生。彼女。学力、打ち込める部活……。

でも、それは必ずしも僕が勝ち取ったものばかりじゃない。
運や巡り合わせもあったんだ。

労せずして得たものは、失ったことに文句を言えない。
そして、失うことが……もう目前に迫ってる。

失う? 何を?

高校っていう、居心地のいい時空間を。

それは僕が上手に立ち回ろうが、ふて腐れて放りだそうが、
必ず失われる。
時の流れが、僕から楽園を強制的に引き剥がしてしまう。

それが嫌で。どうしても納得出来なくて。
僕が前を向くことにブレーキをかける。
そして、後ろを向かせてしまう。

未来を決めかねているんじゃない。未来を見たくないんだ。
今を失いたくないんだ。
だからダルになる。気合いが入りきらない。

「ふううっ」

これまで何度も僕を襲ってきた危機。
しゃらとの仲違い、中庭の封鎖儀式、橘社長とのトラブル、
沢渡校長との衝突、ヤクザとのいざこざ……。

全部自力っていうわけにはいかなかったけど、僕なりに自分
の持ってる力を振り絞って切り抜けてきた。
危機に背を向けて逃げたり、いい加減にやり過ごしたってこ
とは絶対にないと思う。

でもね。
それなら、僕はもっとマシになってないとだめなんだ。

僕は、こうやって生きるよ。
他の人に胸を張って言えるきちんとしたポリシー。
それがないのに、物事の処理能力のところだけを見てみんな
が高く評価する。

『オトナになった』……ってね。

それは僕の周囲にいた人たちが、最初の出来損ないそのもの
だった僕をよく知ってるから。

僕自身がそうしちゃってたように、みんな過去の僕と今の僕
を比べて見る。そして口を揃えて言うんだ。

成長した……と。

いや、違う。僕は一ミリも成長してない。
高校に入ったばかりの頃の僕と、何も変わってない。
自分に自信がなくて、でもそうは言いたくなくて、無意識の
うちに虚勢を張って、僕は大丈夫と言ってしまう。

そう、皮肉なことに、ポーズを取る技術だけはすごく成長し
てるんだ。
だから、親や会長にすら僕のポーズが見えなくなってる。

でも、過去の僕を知らない高橋先生や重光さんには、すぐに
見破られてしまうんだよね。
こいつ、しょうもない。芯からぐだぐだじゃないかって。

「くっ……」

僕が、本当の意味でのんびり屋ではないってこと。
それはすぐに後ろ向きになる自分をごまかす言い訳だったっ
てこと。まず、それを認めないとね。

こなせてしまう分だけ、こなせない寝太郎よりましだと思っ
てたけど、ましじゃ全然だめなんだよ。
結局、エネルギーを吐き出した後で燃え尽きてしまうのは同
じなんだから。

「ふううっ」

僕は……もっとすっぱり割り切って、なんでもスマートにこ
なせるんだと思ってた。
でも、全然だめだ。

高橋先生の指摘が、胸に深々と突き刺さる。

「君は純粋培養器の中から出ていないよ……か」

その通りだね。
身体じゃなく、精神が……。

……弱過ぎる。




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三年生編 第72話(3) [小説]

のたのたと自分の部屋を出て、厨房の冷蔵庫に入れてあった
お弁当を取りに行ったら。

ばったりと立水に出くわした。
撤退したんじゃなかったのか?

「おわっ!?」

「ああ、済まん。ちょい作戦変更でな」

「さ、作戦変更?」

「そうだ。やっぱり俺には物理は合わん!」

立水が、額に青筋を立ててそう怒鳴った。
まあ……あの要領の悪さじゃなあ。

「とんぺい撤退?」

恐る恐る聞いてみた。即答が返ってきた。

「やめる」

そうか……。

「夏期講習はどうすんの?」

「俺のどたまじゃ、とんぺい単独コースはどだい無理だ。最
初からそういう風にはしてねえ」

「あ、そうだったんだ」

「センター試験の足切りをクリア出来ねえと、最初から話に
なんねえんだよ」

「だよなあ……」

「二次対策の物理履修は放棄」

「全放棄じゃなく?」

「数学もやりたくねえ。でも全部放り出すのは、俺の負けだ」

ぐ……わあ。

「俺は、全敗にはしたくねえんだ。まだ数学の方が分がある」

「なるほどな」

「英語と数学はそのまま履修。センター試験対策を強化して、
志望校は練り直す」

「えびちゃんや瞬ちゃんには?」

「昨日報告した」

「そうか……」

「おまえは?」

ふう……。
さっさと立て直した立水の決断力、行動力の凄まじさにめげ
る。

でも、重光さんがどやすのはもっともだ。
僕と立水のやり方を比べてどうこうじゃないんだ。
僕の生き方は自分を軸にして考えないと、ここにいる意味が
ない。

「迷ってるよ。どうにも気合いが入らん」

「進路か?」

「いや……ここにいること含めて、全部、さ」

立水の顔が険しくなった。
この根性なしが! そう思ってるんだろうな。
否定はしないよ。

「でもな」

「ああ」

「ぐだぐだ迷っていることに飽きた。何かしてないと時間が
もったいない」

「ふん。相変わらず変なやつだな」

「余計なお世話だ」

冷蔵庫を開け、弁当を出してそのまま部屋に戻ることにする。

「温めねえのか?」

「暑くてさ。冷たい方がまだ喉を通る」

「それもそうか」

「じゃな」

「おう」


           −=*=−


鮮やかに自分を切り替えていく。
自分を絶対に曲げないと豪語していたはずの立水が、重大な
転換点では僕より鮮やかに身を翻している。
それが変節に見えないのは、覚悟ゆえの転換だっていうのが
誰からもはっきり分かるからだ。

僕だって、今までずっと周りに振り回されてふらふらしてた
わけじゃない。
大事な転換点では、必ず自分でどうするかを決めてきた。
少なくとも、自分ではそうしてきたと思ってる。

それなのに、重光さんになんであんなに激しくどやされたか?

変化していくこと。変化の先。
自分の未来に積極的に挑もうとしないで、変化した結果ばか
りを見ていたからだ。

『あの頃の自分には絶対に戻りたくない。そのために自分を
もっと変えなければ』

うん。それはいいんだ。
問題は、なりたくない自分から本当に遠ざかったかどうか
を、後ろ向きのまま確認しようとしたこと。
それじゃあ、いつまでたっても未来のビジョンなんか見えて
こない。
見えてくるはずが……ないんだ。

『なりたくない、そこに戻りたくない自分』を今さら見たっ
てしょうがないじゃん。
そうじゃなくて、なりたい自分、理想の自分をイメージしな
いとだめだったんだ。
そして僕には、未来を想像する力が決定的に足りない。

ただこなすんじゃなく、やり遂げる。
自分をしっかりゼロから創り上げる。
そのためには……高橋先生が言ってたみたいに、自分を一回
きっちり下に落とさないとだめ。
ばらばらの部品にまで戻さないとだめ。

かさっ。
字で埋まったノートを一枚めくって、白紙を出す。

これまで。
僕は節目節目で、白紙を意識していた。
中学までの自分を新(さら)にして、これからがんがん新し
い自分を作るんだと。そう意識していた。

でも。
それが見事に掛け声倒れになってる。



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