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三年生編 第71話(7) [小説]

「次。立水」

立水へのど突きのえげつなさは、僕に対するどやしの比じゃ
なかった。

「この腐れ外道め! てめえは工藤以上にひでえ。どこぉ見
てやがる!」

反発してぶち切れるかと思った立水は、真っ青になって俯い
たままだ。

「俺もこの年までいろんな野郎を見てきたが、てめえほど
腐ったやつは見たことがねえ。最低もいいとこだ!」

な、なんで?

「いいか! てめえの命と人生くれえてめえで使え! 世の
中ぁそれ以外は何一つ自由になんねえんだよ! くそったれ
がっ!」

悔しいんだろう。
顔を歪めた立水が、膝の上に揃えた拳をこれでもかと握りし
めて、ぼろぼろ涙を零し始めた。

「いいか!? 純粋だろうが不純だろうが、てめえの好きで
どっかを目指すなら俺は何も言わねえよ。それは、てめえの
勝手だ。けどよ。おめえの動機はあまりにガキっぽいんだ
よ。それじゃ一生どころか、一年も保ちゃあしねえ!」

重光さんは、立水のシャツの胸ぐらをしわくちゃの両手で掴
むと、がくがくと揺すった。

「一日やる! それでさっさとけりぃ付けてこいっ!」

どんっ!

腕力じゃ絶対に負けないはずの立水が、まるでぼろ雑巾のよ
うに部屋から叩き出された。

ああ……そうか。
僕は、これまでずっと立水の態度から滲んでいた、原因の分
からないいらつきの中身をはっきり予想出来た。

あいつが、自分の実力に見合わない超難関校を目指す理由。
それは、そこに自分の身内がいるからじゃないかなと。
回りくどい方法を取らないとその人にアプローチできないっ
てことは……。

きっと、それが大学の先生だからだろう。
バツか、私生児か、それは分かんない。
でも、立水がずっと抱え込んでいた飢餓感は……その人が欠
けていたことに強く結びついていたんだと思う。

ふう……。

「重光さん」

「なんだ!?」

「あいつは……立水は、これから向こうに行くんでしょう
か?」

「てめえには関係ねえだろ」

ずんばらりん。取りつく島なし。

「いいか。繰り返す! てめえはてめえのケツを拭け! 人
に気を散らす暇があったら、てめえのその臭い尻をなんとか
しろ!」

返す言葉がない。

「いいか! 坊主ってのは、法を説いてなんぼなんだ! け
どな、説けるようなご立派な法なんざどこにもねえんだよ。
そんなのは、てめえで勝手に探せ! 俺が言えるのはそんだ
けだ!」

ばしっ!

講話室の引き戸を、ぶっ壊すんじゃないかってくらい派手に
叩き閉めて。重光さんが、さっと出て行った。

僕は、よれよれの状態で自分の部屋に戻った。
そして。
隣の立水の部屋には、もう人の気配がなかった。

「そうか……」


           −=*=−


夜。
お弁当を食べ終えて、少し温度が下がってきた夜気を部屋に
通す。

昨日より勉強に適した環境になったと思うけど、僕のエンジ
ンは完全に停止していた。

重光さんの強烈な突っ込み。
あれは僕だけじゃなくて、ここに来ていた受験生全員に代々
ぶちかまされてきたんだろう。

宿泊費激安だって言っても、環境が悪い合宿所にあえて来る
ような学生はみんな訳あり。
そして、僕も立水もそうだってことだ。

ここは確かに安く泊まれるけど、その代わりに外界との接触
を一切遮断される。
それは、受験生を勉強に集中させるための決まりだって考え
てたけど……違う。

外部とのリンクを切られると、僕らは自分自身を見るしかな
くなる。
ここにいるのは自分だけ。誰も自分に関わってくれないし、
自分から誰かに関わることも出来ない。
自分の弱さや醜さが、全部自分の目の前に浮き上がってきて
しまうんだ。

なぜ自分が受験するのか、大学に何を取りに行くのか。
それが本当に自分の意思で決められたものか、見栄や親の勧
めに流されてなんとなく、なのか。
勉強に集中するより先に、自分の生(なま)の意識に向き合
わざるをえない。

それこそが重光さんの、そしてここを勧めてくれた瞬ちゃん
の狙いなんだろう。

『おまえのことなんだぞ? いい加減にしねえで、自分で
ちゃんとけりをつけろ!』

生徒にえこひいき出来ない瞬ちゃんは、結局クールを徹底せ
ざるを得ない。熱い人なのに、僕らには突っ込み切れない。
でも、どこまでも直球の重光さんのどやしは、僕らが逃げる
こともごまかすことも出来ない。

苦手な分野に無理やり突っ込もうとしていた立水。
その歪みは、僕らにも先生にもリョウさんにも見えてた。
でも、誰もそれに突っ込めなかったんだ。

重光さんは違った。いきなり真正面から突っ込んだ。
おまえ、バカかって。

立水自身が、自分の行動に無理を感じていたんだろう。
誰かが無謀な突進に強制的にブレーキをかけてくれるのを、
ずっと待っていたのかもしれない。
重光さんが後押ししてくれたから、立水は動けたんだ。

もし本当に自分が目指すもの、勝ち取ろうとするものが自分
の中から湧き出していれば。
それは挑む姿勢として、僕らの中から自然に吹き出すんだろ
う。でも僕も立水も、動機が自分の『外』にある。

そういうことが、ここだと全部丸見えになってしまう。

手に汗を握る。
そういうスリル。高揚感。どうせ握るなら、そういう汗がい
い。
今僕が握っているのは、どこにも行き場のない冷や汗だ。

握っていた両拳を緩めて、手のひらを開き、窓に向ける。
それから、じわりと覚悟を固めた。

二週間の講習期間。
それがまるまる無駄になっても、その分は後で追い込んで取
り戻せる。
それよりも、ずーっと自分の中で欠けたままになってる部分
を、今のうちに整備しないとなんない。

僕には……そんなに選択肢はない。

今までなかなか固まってこなかった、職業や学問への興味が
急にむくむくと湧いて形になることはない。
そうしたら、自分が半端な状態を割り切れるか、宙ぶらりん
に納得出来るか。
高橋先生の言ってたのは、そういうことだ。

「納得……か」

納得するためには、感情と理性が真っ二つに割れちゃってる
自分の中身を、一回ご破算にして整理し直さないとなんない
んだろう。

机の上に広げていた講習資料とノートを畳んで、墓地から吹
き込んで切る少し生臭い夜気を顔に受けた。

窓の外は真っ暗で何も見えない。でも、それが怖くない。
墓地には幽霊やお化けがいるかもっていう漠然とした恐怖を
全然感じない。

その代わり僕の頭の中に、夕方見たテイカカズラのものっす
ごい薮が浮かび上がってくる。
緑色の怪物がもさもさと触手を揺らして、僕を襲おうとして
いる……そんな恐怖。

本当はすごくおかしいんだろう。
死のイメージより怖いものがあるなんてさ。

墓地よりも、テイカカズラに飲み込まれた古家を恐ろしく感
じた僕。
どうしても納得できないっていう強い執着はあるのに、その
力を向ける先がどこにもないこと。
僕は……自分の気持ち悪い歪みを、あの光景の中に見たんだ
ろう。

一番怖いのが出来損ないの自分自身だっていうのは、なんだ
かなあ。

「あ、そうだ」

さっき重光さんが、『しゃくぶく』って言ってたよね? 
どんな意味なんだろう?

辞書を引いてみる。

「折伏。威力をもって、悪人や悪法を仏法に従わせること、
か……」

すっごい激しかったけど、重光さんのどやしは折伏なんか
じゃない。それは高橋先生のアドバイスと同じで、単なるお
勧めに過ぎないんだ。
僕の首根っこを押さえて、無理やりどこかに向かわせること
はできない。

自分の弱さを折伏するなら……。

「自力で、死ぬ気でやれってことだよな」




tkkz.jpg
今日の花:テイカカズラTrachelospermum asiaticum




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