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三年生編 第73話(2) [小説]

和を大事にして、仲良くやりたい。
最初から出しゃばりたくない。
俺が俺がってしゃにむに前に出ていくやり方は、僕に向いて
ない。
……それは、これからも変わらないだろう。

でも、人によって持論を言えたり言えなかったりじゃおかし
いじゃん!
何かを口に出すなら、誰にでも同じことを同じトーンで主張
しないとならないし、自分がそう出来てたとはとても言えな
い。

いや、ずっと黙ってたわけじゃないよ。
むしろ、僕にしては主張し過ぎるくらい主張はして来たん
じゃないかと思う。
それなのに、なんで僕にそういう自負がないのか。

その主張が、いつも『自分や身内を守るため』だったからだ。
家族だったり、しゃらだったり、プロジェクトだったり……。

壊したくないもの。
大事にしたいもの。
外からの圧力を防ぐための盾や鎧として使ってきた、僕のご
立派なコトバ。

それは……亀のように丸まって自分や身内を守ることには使
えるけど、敵と戦って打ち負かす剣にはならないんだ。

唯一それが剣になってしまったのが、去年のしゃらとの揉め
事の時にぶち切れてだったのは……論外だよね。

もうちょい、切り拓くことに剣を使いたい。
そして、剣を帯びてることをちゃんと人に見せられるように
したい。
そのためには、剣がないとやられるっていう恐怖心と、剣を
使いこなす勇気が要る。

立水のようにいつも剥き身の剣をぎらぎらさせているのは窮
屈だと思うけど、その分あいつは分かりやすいんだ。

僕も、もうちょい自分をシンプルに、分かりやすくしよう。
それは、何かにきちんと集中する、打ち込むことで叶えられ
るはずだ。

自習室で数学の問題集を開いて、リョウさん式に分からない
問題だけに挑んでいく。
これまでなかなか上がらなかった効率が、少しずつ上がって
いく実感がある。

講習で教わることだけが、収穫じゃない。
一切の雑音が入らない環境で、集中して勉強出来るチャンス
を無駄にしたくない。

がりがりがりがりがりがりがり……。


           −=*=−


「や、やばい!」

集中し過ぎて、門限ぎりぎりになっちゃった。
慌てて、館内の電話から重光さんに電話を入れた。

「重光さんですか? 工藤です。自習室で時間見ないで勉強
してたらぎりぎりに……」

「ああ、すぐ帰ってこい。門は開けとく」

「済みません。じゃあ、すぐ……」

ぷつ。……切れちゃった。

まあ一応電話連絡したから、大丈夫かな。
でも、急いで帰らなきゃ。

灯りが消え始めた館内から慌てて走り出て、全力で駅に向かっ
て走った。

間が悪いことに、今日は間違いなく熱帯夜だ。
日差しがないのに、空気がもわあっと蒸し暑い。

ぐへえ。しんどいよう。

「ひいひいひい……」

なんとか電車に飛び込んで、空調の冷風の当たる位置を探す。

「まいったあ……」

冷たい風が当たっても、身体中から吹き出す汗はすぐには止
まらない。
慌ててデイパックからタオルを出して、そこに顔を突っ込ん
だ。

「ぶふう!」

タオルは毎日洗ってローテしてるけど、洗剤ぶち込んで普通
に洗ってるだけだから、ごわごわ。
そっか……自分一人で生活すると、洗濯物は全部こんな感じ
になるんだろなあ。

普段、母さんが丁寧に洗濯してるんだなってことがこういう
時に分かる。

一人暮らしかあ。

今は、たった二週間だからって、ものすごく手を抜いてるも
ろもろのこと。炊事とか、洗濯とか、掃除とか。
それを自力でこなさなければならなくなったら……。

「情けない生活になるかもなあ」

今は受験という目標があるから耐えられるこういう生活。
大学に入ったら、その目標は消える。

時間を自由に使えるようになるじゃん。
うん。確かにそうなんだよね。
でも、このまま大学で下宿生活するようになったら、僕はそ
の時間を持て余すようになるんじゃないかなあ。

りんやばんこが高校生のうちからこなしている『生活する』
ということ。

僕は、それを他人事のように見てたのかもしれない。

家事をこなすってことだけじゃなく、生活を『一人をベース
に組み立てる』っていうこと。
まだ、そのイメージが全然湧いてこない。

りんが家を飛び出して伯母さんのとこで暮らし始めた時に、
寂しいって泣いたこと。
あれは……僕にも同じように降ってかかる。

今そういう寂しさをあまり意識しないのは、下宿生活がたっ
た二週間しかないからだ。
しかももう……半分過ぎちゃったんだよね。
なんだ、こんなものかっていう感じ。

ものすごい早起きも、朝の勤行も、チェックの厳しい掃除も、
門限も。すぐに慣れる。
だって、期間限定だもん。

合宿が終わればすぐに今までの生活に戻れるっていう安心感
や安堵感があるから、今の厳しさや寂しさが薄まってしまう。
危機感や焦りに繋がらない。

でも大学に通うようになったら、そうは行かないよね。

僕がどこで暮らすようになるか分からないけど、そこが実家
じゃないことだけは確かだ。
僕が暮らすようになったところが僕の本宅になり、今の実家
は僕にとって外泊先に変わっていく。

「まだまだ……これからだなあ」

自分は、変わっていく世界のどこまで適応出来て、何に耐え
られないのか。まだイメージが全然湧かない。
それだけ、僕はこれまでずっと恵まれてきたってことなんだ
ろう。

さて、と。
考え事はいいけど、乗り越さないようにしないとな。

肌に残っていた汗を、もう一度ごわごわのタオルで拭き取っ
て、僕は早めに座席から腰を上げた。




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三年生編 第73話(1) [小説]

8月1日(土曜日)

今日は二週間コースの中日ってこともあって、講義はかなり
ごつかった。
一般コースは緩いかと思ってたけど、決してそんなことはな
かった。
講義内容の難度も先生のカツ入れも、容赦なくギアが上がっ
てる。

このペースだと、二週間の講習なんてあっという間に終わっ
ちゃうな。

「やべー。急がなきゃ」

僕は、まだ熱気が残る講義室のざわつきの中、机の上に広げ
てあったノートと問題集を素早くカバンにしまった。
てきぱき行動しないと、自習室がすぐにいっぱいになっちゃ
う。

学生で溢れ返る廊下をかき分けるようにして、自習室へ急ぐ。

ある水準以上の大学を狙う受講生は、講義が終わったあと自
宅や合宿所に真っ直ぐ帰らない。
自習室で延長戦をやったり、先生に食いついて弱点を潰しに
行ったり。みんな、限られた時間でどうやって自分を押し上
げるか、必死になってる。

その熱気の中で僕だけがぐだぐだをずっと引きずるのは、ど
うしても嫌だった。

合宿所に早く帰れない理由。
僕の中でも、この数日間でどんどん変化している。

最初は、暑い部屋に帰りたくないから。
その後、独りの世界に封じ込められたくないからに変わり。
今は、自分をきっちり追い込んで中身を詰めることに集中し
たい、その時間を確保したいから……になってる。

本当は、最初から今みたいな集中が必要だったんだろう。
でも、僕は出足でつまずいた。

止まってしまったエンジンを回すのに、三日もかかっちゃっ
た。
そしてエンジンを再始動したのは、僕が自分で課題にけりを
付けたからじゃない。
あいつが……立水が戻ってきたからだ。

僕があいつに何も言わなかったように、あいつも僕に何も言
わないし、アプローチも一切ない。
完全に勉強だけに集中している。

あいつが負けたくない相手は自分自身なんだろうけど、僕は
あいつの負けん気や集中力に負けたくなかったんだ。

相手の弱いところにシンパシーを重ねてたんじゃ、一緒に地
盤沈下する。
今は逆立ちしても敵わない、あいつの莫大なエネルギーと行
動力。
それに対抗するには、自分の中から熱をおこすしかない。
それしかないんだ。

学力から言ったら、立水じゃなくマカの方がずっと上だか
ら、僕はマカを目指さないとならない。
でも、マカは最初から僕を相手にしていない。
僕はマカとはレベルが違い過ぎて、競う資格がないんだ。

武田くんもそう。
彼は自分のオリジナリティに恐ろしいほどこだわってる。
頭の良し悪しじゃなくて、自分が欲しいものを取りに行くん
だっていう姿勢に全くぶれがない。
そこがまだふらっふらの僕は、今は競いようがない。

そして、立水。
目指す先がレベル的に妥当かどうかはともかく、あいつの
狙ったものを取りに行くという意思の強さは、桁違いだ。
まるっきり僕の比じゃない。

でも、あいつの場合その動機が自分の外にあった。
自分で熱をおこせなかった僕と、その欠点だけは共通だった
んだ。

そして、あいつはそれをご破算にした。
一旦スタート地点まで戻って、そこからやり直す決意を固め
たんだろう。
それなら、僕も中途半端な自分をぶん投げて、思い切ってス
タートまで戻った方がいい。

立て直すっていうことじゃ、僕も立水も変わらない。
ハンデは全く同じなんだ。だから、これからの競争には絶対
に負けたくない。

僕が、これまでなんとなく避けてきた競って勝ち取るという
こと。
スポーツではものすごく勝ち負けにこだわるのに、それ以外
の部分では自分を無意識に中立の位置に避けてしまう。

自分が孤立することを必要以上に恐れて。
自分のポジションをわざと下げて、そこに隙や白地を作って
見せて。
そんな心の弱さが……僕の熱を下げちゃってる。





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三年生編 第72話(5) [小説]


ばたばたっとノートや参考書を畳んで、弁当を開ける。

「家のおいしいご飯が食べたいなあ」

もさもさもさ。
コンビニのお弁当は、すぐに飽きる。

おいしくないわけじゃない。
でも、結局どれも同じ味のように感じちゃう。

成功や幸福の味を知っちゃうと、それ以外の日常が味気なく
感じるんだろう。
ほんのわずかな成功や幸福ですらもらえなければ、うまいま
ずいって言ってる場合じゃない。何にでも食いつかないとな
らないのに。

……そして、自分も昔は間違いなくそうだったのに。

「幸福メタボ……かもな」

自分で取りに行く足が萎えて、今いるところで食べられそう
なものを物欲しげに見回してる。
そこにあるものは、もうほとんど食い尽くしているのに。

弁当殻をビニール袋に放り込んで、ペット茶の口を切った。

ぱきっ。
僕以外誰もいない部屋に、その小さな破壊音が転がる。

口を付けて、一気に半分くらいまで飲み干す。

ごくごくごくごくごくっ!

「っふう。ん?」

ああ、そうか。
普通の緑茶じゃなくて、ジャスミンティーを買ったんだっ
け。

お茶に花の香りを移して作るジャスミンティー。
ジャスミンの花に求められるのは香りだけで、香りを手放し
た花は用済みになってしまう。
花がどんなに香り高く咲き誇っても、それがお茶の中に突っ
込まれた時点で花としての尊厳を失う。

同じように。
僕が今、家に、そしてしゃらに逃げ込めば、僕はそこに香り
を移して意味を失うんだろう。

ああ、いやだな。
僕は、絶対にそうなりたくない。

それがいやなら。
我慢できないなら。
僕がどこでどんな風に咲くのかを……自分できちんと決めな
いとならないんだろう。

自分の家での夕食を思い返す。
そこにいつも並んでいる家族の顔を思い返す。
しゃらは今頃どうしてるかを思い返す。
しゃらの笑顔、泣き顔を思い返す。

それを見られないことは本当に辛い。
でも……。

今の僕は、それに耐えられてしまうんだ。

もし僕が一年か二年の時にこういう独りに押し込まれたら、
孤独に押し潰されて、もっと激しいホームシックに陥ってい
たかもしれない。

でも、僕はもう涙なしで自分の孤独に向き合える。
それがいいことなのか悪いことなのか、僕には分からないけ
ど……。

今一人きりに耐えられるのは、心の動きを感じるセンサーの
感度がすごく下がっちゃったからかもしれない。
自分のダルさをスルーしてきた僕は……むしろ孤独の恐ろし
さをもう一度噛み締めて、泣ける自分を取り戻した方がいい
のかもしれない。

何もかも後回しにして、香りだけになってしまう前に。




maturik.jpg
今日の花:マツリカJasminum sambac




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三年生編 第72話(4) [小説]

「く……」

僕は……怖いんだろう。
今を失うのが。

高校に入ってから、僕はすごく恵まれてる。
それまでどんなに心の底から望んでも、欲しくても、どうし
ても手の届かなかったものが、次々に手に入ったんだ。

理解者。友達。先生。彼女。学力、打ち込める部活……。

でも、それは必ずしも僕が勝ち取ったものばかりじゃない。
運や巡り合わせもあったんだ。

労せずして得たものは、失ったことに文句を言えない。
そして、失うことが……もう目前に迫ってる。

失う? 何を?

高校っていう、居心地のいい時空間を。

それは僕が上手に立ち回ろうが、ふて腐れて放りだそうが、
必ず失われる。
時の流れが、僕から楽園を強制的に引き剥がしてしまう。

それが嫌で。どうしても納得出来なくて。
僕が前を向くことにブレーキをかける。
そして、後ろを向かせてしまう。

未来を決めかねているんじゃない。未来を見たくないんだ。
今を失いたくないんだ。
だからダルになる。気合いが入りきらない。

「ふううっ」

これまで何度も僕を襲ってきた危機。
しゃらとの仲違い、中庭の封鎖儀式、橘社長とのトラブル、
沢渡校長との衝突、ヤクザとのいざこざ……。

全部自力っていうわけにはいかなかったけど、僕なりに自分
の持ってる力を振り絞って切り抜けてきた。
危機に背を向けて逃げたり、いい加減にやり過ごしたってこ
とは絶対にないと思う。

でもね。
それなら、僕はもっとマシになってないとだめなんだ。

僕は、こうやって生きるよ。
他の人に胸を張って言えるきちんとしたポリシー。
それがないのに、物事の処理能力のところだけを見てみんな
が高く評価する。

『オトナになった』……ってね。

それは僕の周囲にいた人たちが、最初の出来損ないそのもの
だった僕をよく知ってるから。

僕自身がそうしちゃってたように、みんな過去の僕と今の僕
を比べて見る。そして口を揃えて言うんだ。

成長した……と。

いや、違う。僕は一ミリも成長してない。
高校に入ったばかりの頃の僕と、何も変わってない。
自分に自信がなくて、でもそうは言いたくなくて、無意識の
うちに虚勢を張って、僕は大丈夫と言ってしまう。

そう、皮肉なことに、ポーズを取る技術だけはすごく成長し
てるんだ。
だから、親や会長にすら僕のポーズが見えなくなってる。

でも、過去の僕を知らない高橋先生や重光さんには、すぐに
見破られてしまうんだよね。
こいつ、しょうもない。芯からぐだぐだじゃないかって。

「くっ……」

僕が、本当の意味でのんびり屋ではないってこと。
それはすぐに後ろ向きになる自分をごまかす言い訳だったっ
てこと。まず、それを認めないとね。

こなせてしまう分だけ、こなせない寝太郎よりましだと思っ
てたけど、ましじゃ全然だめなんだよ。
結局、エネルギーを吐き出した後で燃え尽きてしまうのは同
じなんだから。

「ふううっ」

僕は……もっとすっぱり割り切って、なんでもスマートにこ
なせるんだと思ってた。
でも、全然だめだ。

高橋先生の指摘が、胸に深々と突き刺さる。

「君は純粋培養器の中から出ていないよ……か」

その通りだね。
身体じゃなく、精神が……。

……弱過ぎる。




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三年生編 第72話(3) [小説]

のたのたと自分の部屋を出て、厨房の冷蔵庫に入れてあった
お弁当を取りに行ったら。

ばったりと立水に出くわした。
撤退したんじゃなかったのか?

「おわっ!?」

「ああ、済まん。ちょい作戦変更でな」

「さ、作戦変更?」

「そうだ。やっぱり俺には物理は合わん!」

立水が、額に青筋を立ててそう怒鳴った。
まあ……あの要領の悪さじゃなあ。

「とんぺい撤退?」

恐る恐る聞いてみた。即答が返ってきた。

「やめる」

そうか……。

「夏期講習はどうすんの?」

「俺のどたまじゃ、とんぺい単独コースはどだい無理だ。最
初からそういう風にはしてねえ」

「あ、そうだったんだ」

「センター試験の足切りをクリア出来ねえと、最初から話に
なんねえんだよ」

「だよなあ……」

「二次対策の物理履修は放棄」

「全放棄じゃなく?」

「数学もやりたくねえ。でも全部放り出すのは、俺の負けだ」

ぐ……わあ。

「俺は、全敗にはしたくねえんだ。まだ数学の方が分がある」

「なるほどな」

「英語と数学はそのまま履修。センター試験対策を強化して、
志望校は練り直す」

「えびちゃんや瞬ちゃんには?」

「昨日報告した」

「そうか……」

「おまえは?」

ふう……。
さっさと立て直した立水の決断力、行動力の凄まじさにめげ
る。

でも、重光さんがどやすのはもっともだ。
僕と立水のやり方を比べてどうこうじゃないんだ。
僕の生き方は自分を軸にして考えないと、ここにいる意味が
ない。

「迷ってるよ。どうにも気合いが入らん」

「進路か?」

「いや……ここにいること含めて、全部、さ」

立水の顔が険しくなった。
この根性なしが! そう思ってるんだろうな。
否定はしないよ。

「でもな」

「ああ」

「ぐだぐだ迷っていることに飽きた。何かしてないと時間が
もったいない」

「ふん。相変わらず変なやつだな」

「余計なお世話だ」

冷蔵庫を開け、弁当を出してそのまま部屋に戻ることにする。

「温めねえのか?」

「暑くてさ。冷たい方がまだ喉を通る」

「それもそうか」

「じゃな」

「おう」


           −=*=−


鮮やかに自分を切り替えていく。
自分を絶対に曲げないと豪語していたはずの立水が、重大な
転換点では僕より鮮やかに身を翻している。
それが変節に見えないのは、覚悟ゆえの転換だっていうのが
誰からもはっきり分かるからだ。

僕だって、今までずっと周りに振り回されてふらふらしてた
わけじゃない。
大事な転換点では、必ず自分でどうするかを決めてきた。
少なくとも、自分ではそうしてきたと思ってる。

それなのに、重光さんになんであんなに激しくどやされたか?

変化していくこと。変化の先。
自分の未来に積極的に挑もうとしないで、変化した結果ばか
りを見ていたからだ。

『あの頃の自分には絶対に戻りたくない。そのために自分を
もっと変えなければ』

うん。それはいいんだ。
問題は、なりたくない自分から本当に遠ざかったかどうか
を、後ろ向きのまま確認しようとしたこと。
それじゃあ、いつまでたっても未来のビジョンなんか見えて
こない。
見えてくるはずが……ないんだ。

『なりたくない、そこに戻りたくない自分』を今さら見たっ
てしょうがないじゃん。
そうじゃなくて、なりたい自分、理想の自分をイメージしな
いとだめだったんだ。
そして僕には、未来を想像する力が決定的に足りない。

ただこなすんじゃなく、やり遂げる。
自分をしっかりゼロから創り上げる。
そのためには……高橋先生が言ってたみたいに、自分を一回
きっちり下に落とさないとだめ。
ばらばらの部品にまで戻さないとだめ。

かさっ。
字で埋まったノートを一枚めくって、白紙を出す。

これまで。
僕は節目節目で、白紙を意識していた。
中学までの自分を新(さら)にして、これからがんがん新し
い自分を作るんだと。そう意識していた。

でも。
それが見事に掛け声倒れになってる。



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三年生編 第72話(2) [小説]

「ふうっ」

僕が漏らした溜息に苦笑した高橋先生が、隣の空き席にすと
んと腰を落とした。
僕の目の前でひょいひょいと指を振る。

「前も言ったけど、受験もその先の大学生活も、君にとって
は通過点に過ぎないよ」

「はい」

「どうせ通過点なら、面倒なことなしでするっと通ってしま
いたい。そういう考え方もあるし、僕はそれは全否定しない
よ」

「……はい」

「でもね。それだって、人生の八十数回の繰り返しの一部
さ。僕なら、無駄にするのはもったいないなーと考える。通
過がしんどくても、楽でもね」

すごいなあ。
そう考えるのか。

重光さんが自分を一切排して僕らをどやすのに対して、高橋
先生は自分を目印にして見せる。
そのどっちがいい悪いじゃない。それぞれの生き方、やり方
なんだ。

じゃあ、僕は?

「んー」

かえって迷いが深くなっちゃった。

「ははは。なかなか割り切れないみたいだね」

「はい。ふうっ……」

「まあ、それを君の売りにしたらいいんちゃうの?」

「割り切れないのを、ですか?」

「そ。割り切れないってのは、妥協しない、こだわるってこ
とさ。それは確かに無駄が多いよ」

「はい」

「でも、こだわらないと見えてこないもの、ゲット出来ない
ものがあるんでしょ。それは君にしか意味がない」

うん。ぴったり、だ。

「結果じゃなく、こだわったことに意味があれば。それが全
部無駄にならなければ。それでいいんちゃうの?」

「そうかあ」

「受験対策のプロとしては、この前言ったみたいに効率化の
ために割り切れとしか言えないよ。でも、それはあくまでも
テクニカルな話さ。それが全部を解決出来るわけじゃない。
最後は、君自身でやり方を選択するしかないんだよね」

「そうですね」


           −=*=−


迷いが連れてくるもの。
そんなん、ろくなもんじゃない。
だって、自分がよわよわだから迷うんだもの。

先が全然見えないこととか。見たくないって思ってしまうこ
ととか。
しゃらとのこれからはどうなるんだろうっていう不安とか。
家族との繋がりが変わってしまう不安とか。
肝心な時に、自分をちゃんと主張して押し通せるんだろう
かっていう不安とか。

これまで、自分できちんとこなせてたと思ってたこと。
そのベースは、実は何も入ってないすっかすかの空箱だった
んじゃないだろうか?

……とてつもなく大きな不安感。

それをどうしても直視したくないから、ホームシックにかこ
つける。家に逃げ込む自分をイメージしちゃう。

「ふう……」

ちっともはかどらない勉強。
全部ぶん投げて家に帰ることも、割り切って勉強ロボットに
なることも出来ずに、ぶすぶすぶすぶすくすぶってる。

火がついてばあっと燃えるでもなく。
しゅんと消えてしまうでもなく。
ぶすぶす、ぶすぶすと、変な色と臭いの煙を振りまいて。
その煙で、自分自身がむせてる。

こんな自分は嫌だなあと思いつつ。
何一つすっきりしないうちに時間だけが過ぎる。

……過ぎていく。

ずっと拳を置いていた机の上が汗でじっとり湿って。
その不快感で我に返った。

「飯にするかな」

手や頭を動かそうが、黙ってぼけっとしてようが、容赦なく
お腹だけは空く。

「ちぇ。たりー」


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三年生編 第72話(1) [小説]

7月31日(金曜日)

立水は、重光さんにどやされてすぐ新幹線で仙台に行き、翌
日の昼に戻ってきた。

向こうで何があったのか知らないけど、戻ってからの立水の
決断は早かった。
重光さんに合宿を切り上げることを告げたんだろう。
さっと荷物をまとめ、僕には何も言わずに撤退した。

あいつが最後まで何も言わなかったこと。
それが意地なのか、重光さんや家族の指示なのか、気分の問
題なのか、それは僕には分からない。

だけど。
事実として、合宿所にいるのは僕だけになった。
それが……どうしようもなく辛かった。

それって、やっぱホームシックなんだろうか?
でも、立水が退去した直後からずっと苛まされた無力感や底
抜けの寂しさは、中学の時の疎外感とは桁が違った。

そうさ。中学の時は、僕に逃げ場があったんだ。
『家』っていう逃げ場が。

あれだけ四面楚歌の状況で僕が潰れなかったのは、最後に家
に逃げ込めるっていう安心感がどこかにあったから。
僕は、理不尽な暴力や価値観の押し付けには絶対に負けたく
なかったけど、それを自力で押し返せなくても、家が最後の
砦になるってことだけは疑ってなかった。

でも、僕はいずれ家を出る。
そこは、僕が逃げ込んで隠れるにはもう小さすぎる。
もう狭すぎるんだ。

自分の将来に対する備えの甘さだけじゃない。
自分の現状認識についても……いい加減もいいとこ。
それなのに、りんやばんこに偉そうなことを言ってた自分に
吐き気がする。
もしりんやばんこに、あんたも家を失ってみろって言われた
ら……返す言葉がない。

たかだか二週間の独立仮免許。
それすらまともにこなせていない自分のひ弱さに……がっく
りくる。

重光さんが、遅くに帰ってくるなら必ず連絡を入れろと言っ
たこと。
それは、合宿所が暑すぎて帰りたくないからじゃない。
寂しさだけしかないところに居たくなくなるから……だった
んだ。

もちろん、予備校で講義を受けている間、学生はみんな講義
に集中してて無駄話はしてない。
人と人との交流があるわけじゃないんだ。
それでも、少なくともそこには『人の気配』がある。

合宿所にはそれがないんだ。
本当に、独りきり。

どこにも……逃げ場所、隠れ場所がない。


           −=*=−


「どう?」

数学の講義が終わって、席でぼんやりしていたところに乾い
た声が降ってきた。

「あ、高橋先生」

「巻き返せた?」

夏期講習で、初めて人とまともに話した気がする。
ほっとすると同時に、へたれな自分に対するどうしようもな
いがっかり感がどっと押し寄せてきた。

「いいえー……ちょっとへこんでます」

本当は……ちょっとじゃない。べっこりだ。

「ふうん。レベルの問題?」

「いえ。自信喪失……かな」

「あらら」

「なんか自分て、こんなに弱かったんかなあと思って」

「そりゃあしゃあないさ」

「え? そうなんですか?」

「しっかりしてると自分で思い込んでる子の方が怖いよ」

「ん……」

「言っちゃ悪いけど、君らはまだ純粋培養中だよ。培養器の
中しか知らない」

ううう。
まさにその通りだ。がっくり。
でも、先生は僕のようなへたれの学生の扱いは慣れてるんだ
ろう。
特別気を使うとかバカにするとか、そういう感じは全くな
かった。

「自分の今のステータスをきちんと認識していれば、冷静に
自分の実力を見て課題をこなせしていける。今の時点では、
中途半端なのが当たり前なんだからさ」

「……はい」

「こなせる、大丈夫だと思えちゃうのは負荷にならない。油
断になっても、自信には繋がらないよ」

うわ、そう考えるのか。

「推進力にするなら、歯が立たない、しんどいと思うところ
まで自分を下げないとね。全てはそこからさ」

なるほど。
高橋先生の考え方は、ゴールまで脇目も振らずに必死に走れ
じゃないんだよな。
今足らない分を解析して、スマートに補ったらいい。
そんな感じで、すごく乾いてる。

それにほっとしている自分と、それじゃあ僕の穴は埋まんな
いってがっかりしている自分。
それが並立しちゃったままなのが、僕のでっかい欠点なんだ
ろう。



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三年生編 第71話(7) [小説]

「次。立水」

立水へのど突きのえげつなさは、僕に対するどやしの比じゃ
なかった。

「この腐れ外道め! てめえは工藤以上にひでえ。どこぉ見
てやがる!」

反発してぶち切れるかと思った立水は、真っ青になって俯い
たままだ。

「俺もこの年までいろんな野郎を見てきたが、てめえほど
腐ったやつは見たことがねえ。最低もいいとこだ!」

な、なんで?

「いいか! てめえの命と人生くれえてめえで使え! 世の
中ぁそれ以外は何一つ自由になんねえんだよ! くそったれ
がっ!」

悔しいんだろう。
顔を歪めた立水が、膝の上に揃えた拳をこれでもかと握りし
めて、ぼろぼろ涙を零し始めた。

「いいか!? 純粋だろうが不純だろうが、てめえの好きで
どっかを目指すなら俺は何も言わねえよ。それは、てめえの
勝手だ。けどよ。おめえの動機はあまりにガキっぽいんだ
よ。それじゃ一生どころか、一年も保ちゃあしねえ!」

重光さんは、立水のシャツの胸ぐらをしわくちゃの両手で掴
むと、がくがくと揺すった。

「一日やる! それでさっさとけりぃ付けてこいっ!」

どんっ!

腕力じゃ絶対に負けないはずの立水が、まるでぼろ雑巾のよ
うに部屋から叩き出された。

ああ……そうか。
僕は、これまでずっと立水の態度から滲んでいた、原因の分
からないいらつきの中身をはっきり予想出来た。

あいつが、自分の実力に見合わない超難関校を目指す理由。
それは、そこに自分の身内がいるからじゃないかなと。
回りくどい方法を取らないとその人にアプローチできないっ
てことは……。

きっと、それが大学の先生だからだろう。
バツか、私生児か、それは分かんない。
でも、立水がずっと抱え込んでいた飢餓感は……その人が欠
けていたことに強く結びついていたんだと思う。

ふう……。

「重光さん」

「なんだ!?」

「あいつは……立水は、これから向こうに行くんでしょう
か?」

「てめえには関係ねえだろ」

ずんばらりん。取りつく島なし。

「いいか。繰り返す! てめえはてめえのケツを拭け! 人
に気を散らす暇があったら、てめえのその臭い尻をなんとか
しろ!」

返す言葉がない。

「いいか! 坊主ってのは、法を説いてなんぼなんだ! け
どな、説けるようなご立派な法なんざどこにもねえんだよ。
そんなのは、てめえで勝手に探せ! 俺が言えるのはそんだ
けだ!」

ばしっ!

講話室の引き戸を、ぶっ壊すんじゃないかってくらい派手に
叩き閉めて。重光さんが、さっと出て行った。

僕は、よれよれの状態で自分の部屋に戻った。
そして。
隣の立水の部屋には、もう人の気配がなかった。

「そうか……」


           −=*=−


夜。
お弁当を食べ終えて、少し温度が下がってきた夜気を部屋に
通す。

昨日より勉強に適した環境になったと思うけど、僕のエンジ
ンは完全に停止していた。

重光さんの強烈な突っ込み。
あれは僕だけじゃなくて、ここに来ていた受験生全員に代々
ぶちかまされてきたんだろう。

宿泊費激安だって言っても、環境が悪い合宿所にあえて来る
ような学生はみんな訳あり。
そして、僕も立水もそうだってことだ。

ここは確かに安く泊まれるけど、その代わりに外界との接触
を一切遮断される。
それは、受験生を勉強に集中させるための決まりだって考え
てたけど……違う。

外部とのリンクを切られると、僕らは自分自身を見るしかな
くなる。
ここにいるのは自分だけ。誰も自分に関わってくれないし、
自分から誰かに関わることも出来ない。
自分の弱さや醜さが、全部自分の目の前に浮き上がってきて
しまうんだ。

なぜ自分が受験するのか、大学に何を取りに行くのか。
それが本当に自分の意思で決められたものか、見栄や親の勧
めに流されてなんとなく、なのか。
勉強に集中するより先に、自分の生(なま)の意識に向き合
わざるをえない。

それこそが重光さんの、そしてここを勧めてくれた瞬ちゃん
の狙いなんだろう。

『おまえのことなんだぞ? いい加減にしねえで、自分で
ちゃんとけりをつけろ!』

生徒にえこひいき出来ない瞬ちゃんは、結局クールを徹底せ
ざるを得ない。熱い人なのに、僕らには突っ込み切れない。
でも、どこまでも直球の重光さんのどやしは、僕らが逃げる
こともごまかすことも出来ない。

苦手な分野に無理やり突っ込もうとしていた立水。
その歪みは、僕らにも先生にもリョウさんにも見えてた。
でも、誰もそれに突っ込めなかったんだ。

重光さんは違った。いきなり真正面から突っ込んだ。
おまえ、バカかって。

立水自身が、自分の行動に無理を感じていたんだろう。
誰かが無謀な突進に強制的にブレーキをかけてくれるのを、
ずっと待っていたのかもしれない。
重光さんが後押ししてくれたから、立水は動けたんだ。

もし本当に自分が目指すもの、勝ち取ろうとするものが自分
の中から湧き出していれば。
それは挑む姿勢として、僕らの中から自然に吹き出すんだろ
う。でも僕も立水も、動機が自分の『外』にある。

そういうことが、ここだと全部丸見えになってしまう。

手に汗を握る。
そういうスリル。高揚感。どうせ握るなら、そういう汗がい
い。
今僕が握っているのは、どこにも行き場のない冷や汗だ。

握っていた両拳を緩めて、手のひらを開き、窓に向ける。
それから、じわりと覚悟を固めた。

二週間の講習期間。
それがまるまる無駄になっても、その分は後で追い込んで取
り戻せる。
それよりも、ずーっと自分の中で欠けたままになってる部分
を、今のうちに整備しないとなんない。

僕には……そんなに選択肢はない。

今までなかなか固まってこなかった、職業や学問への興味が
急にむくむくと湧いて形になることはない。
そうしたら、自分が半端な状態を割り切れるか、宙ぶらりん
に納得出来るか。
高橋先生の言ってたのは、そういうことだ。

「納得……か」

納得するためには、感情と理性が真っ二つに割れちゃってる
自分の中身を、一回ご破算にして整理し直さないとなんない
んだろう。

机の上に広げていた講習資料とノートを畳んで、墓地から吹
き込んで切る少し生臭い夜気を顔に受けた。

窓の外は真っ暗で何も見えない。でも、それが怖くない。
墓地には幽霊やお化けがいるかもっていう漠然とした恐怖を
全然感じない。

その代わり僕の頭の中に、夕方見たテイカカズラのものっす
ごい薮が浮かび上がってくる。
緑色の怪物がもさもさと触手を揺らして、僕を襲おうとして
いる……そんな恐怖。

本当はすごくおかしいんだろう。
死のイメージより怖いものがあるなんてさ。

墓地よりも、テイカカズラに飲み込まれた古家を恐ろしく感
じた僕。
どうしても納得できないっていう強い執着はあるのに、その
力を向ける先がどこにもないこと。
僕は……自分の気持ち悪い歪みを、あの光景の中に見たんだ
ろう。

一番怖いのが出来損ないの自分自身だっていうのは、なんだ
かなあ。

「あ、そうだ」

さっき重光さんが、『しゃくぶく』って言ってたよね? 
どんな意味なんだろう?

辞書を引いてみる。

「折伏。威力をもって、悪人や悪法を仏法に従わせること、
か……」

すっごい激しかったけど、重光さんのどやしは折伏なんか
じゃない。それは高橋先生のアドバイスと同じで、単なるお
勧めに過ぎないんだ。
僕の首根っこを押さえて、無理やりどこかに向かわせること
はできない。

自分の弱さを折伏するなら……。

「自力で、死ぬ気でやれってことだよな」




tkkz.jpg
今日の花:テイカカズラTrachelospermum asiaticum




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三年生編 第71話(6) [小説]


講話室に呼び出された僕らは、ぎっちり腕組みしてる重光さ
んの前で正座させられていた。

暑い。はんぱなく暑い。
でも、暑いのに、僕は冷や汗をかいていた。
重光さんが怖いからじゃない。
目標を喪失してどこかに遊離しちゃった自分が、まだ信じら
れなかったからだ。茫然自失。

大打撃を食らってぐだぐだの僕はともかく、気合い十分で乗
り込んできた立水は、くだらん説教聞いてる暇なんざねえ、
冗談じゃねえってぶっちすると思ってた。

でも……。

僕の横に座ってる立水は、完全に萎れていた。
水切れでくたくたになってしまった朝顔みたいだ。

「いいか!?」

重光さんは、猛烈な剣幕で話を始めた。

「俺はここでもう五十年、おまえらみてえな受験生の世話を
してきた。今年はあんたら二人しかいないが、多い時は十数
人の面倒を見たこともある」

重光さんが、しわだらけの手のひらを畳に叩きつけた。
ばしん! その音が身体中を打ちのめす。

「ここへ来る連中は、ろくでなしばかりだ。あんたらも含め
てな」

立水が即、噛みつくかと思ったのに。黙ってる。
うーん……。

「いいか? ろくでなしってえのは、素行のことじゃねえ。
てめえのケツもろくすっぽ拭けねえ、精神(こころ)に心棒
が通ってねえやつのことだ!」

うう……めっちゃ堪える。

「俺はガキだからしょうがねえって言ってられんのは、あと
一年がとこだ。いくら未成年でも、大学入りゃあ一人前扱い
なんだよ。なんぼ中身がガキでもな! それえ、ぶったらか
したままで、俺様オトナでござーいみてえなツラぁすっか
ら、斉藤のバカタレみてえのが出来ちまうんだよ!」

瞬ちゃんすら、ぼろっくそ。

「いいか? おまえら間違いなくガキだ! それをとことん
思い知れ! ガキが小賢しくオトナの真似すんな!」

僕らを頭っから怒鳴り散らした重光さんは、今度は各個撃破
を始めた。

「まず、工藤から行くか」

「……はい」

「おめえはいいかっこしーだ」

ぐ……う。

「てめえのしたいことくらい、てめえで考えろ! てめえで
けりをつけろ! きょろきょろ周りばっか見てっから、足が
地面に着かねえんだよ!」

「……はい」

「迷いがあんなら、迷わなくなるまでてめえのドブを浚え!
外を見んな!」

ぐっさり。
今までの誰の苦言よりも深々と心に刺さった。

コンプレクスや浮遊感。
自分がないからそうなるんだ。
分かってたのに……いや、分かってるつもりで、何も分かっ
てなかった。

崩れない自分。崩せない自分がまだない。
最初からなくて、まだ作れてない。そこがぼろぼろなんだ。

ぼろぼろなのに、そこに『大丈夫だよ』っていう皮を張って
ごまかしてる。
もしその皮が破れてしまったら、僕は生きていられないだろ
う。

重光さんのあまりの直言に。
僕は何も言えなくなってしまった。



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三年生編 第71話(5) [小説]

コンビニでお弁当を買って、とぼとぼと夕暮れの坂を登る。
まだ猛烈に暑いのに、その暑さが感じられない。
ぐだぐだ。

立水は、初日から気合い爆裂なんだろうなあ。ちぇ。
押さえ込んでいたコンプレクスが、またむくむくと膨らんで
くる。そんなの、何の役にも立たないのに。

俯いたままだらだら歩いていたら、何か甘い香りが僕の目の
前をふっと通り過ぎた。

「ん?」

慌てて顔を上げたら。

道沿いに、ほとんど崩壊寸前のふるーい木造の家が建ってい
て、それが緑色のものですっぽり覆われていた。

「な、なんだあ!?」

グリーンモンスター。
家が緑色の化け物に襲われて、飲み込まれようとしている。
そんな風に見える光景。

僕が足を止めてその様子をじっと見ていたら、背後からおじ
いさんの声がした。

「初日はもう終わったのか?」

あ、重光さんだ。

「はい。終わりました」

「講習なんざ、頭と尻尾を取りゃあ実質十日しかねえ。無駄
にすんなよ」

僕がそれを苦笑いで返したら。いきなり突っ込まれた。

「しけてやがんな。迷ってるんだろ?」

う……。そういうのって、見えちゃうのかな。

「ちょっと誤算があって」

「誤算なんてもなあはいつでもある。じゃあどうするかって
とこだけだろうが」

高橋先生と同じで、重光さんも容赦なかった。

「斎藤も根性無しだったが、あんたもそうか」

う……うう。

「一念岩をも通す、だ。妄執は迷惑のように言われっけど
よ。根性がねえと何も手に出来ん」

重光さんが、ぐいっと手を伸ばして緑の塊を指差した。

「いいか。藤原定家が色に狂って、女の死後も墓にまとわり
ついた。それがテイカカズラだ」

ていかかずら……か。

「まとわりつかれた方はたまったもんじゃねえさ。でもな。
俺はどこまでも食らいつくぞってえ執念がないと、何も手に
入らねえんだよ」

ふんと鼻を鳴らした重光さんが、ぼさぼさの植え込みを手で
ばさっと払った。

「ここの婆(ばばあ)は、俺の天敵でな。くたばるまで毎日
軒先でがあがあがなりあってたんさ」

「へえー」

「先にくたばったら終いよ。根性無しが!」

額に青筋を立てて、重光さんががなり立てる。

「だから、こんな蔦葛(つたかずら)に喰われちまうんだ
よ。家ごとな」

ざわっ……寒気が……した。

それは怪談に聞こえたからじゃなく、重光さんが言った例え
話がどうしようもなく恐ろしかったからだ。

すべきことを、自分が空っぽになるまでしろ。
はんぱに後悔を残せば、それが生涯自分の足を引っ張るぞ!

瞬ちゃんは、今はプロの教師を徹底していると思う。
安楽校長もそうだ。
でも、瞬ちゃんや校長が後悔を残してないかっていうと……。

二人とも、まだずるずると挫折を引きずってる。
そして、それを僕らに隠してないんだ。
おまえらは、絶対にこういう後悔をするんじゃないぞって。

僕が何を選択しても、それに後悔を残さないなら別に構わな
いんだろう。でも……。

僕はこだわってる。
僕のチョイスは本当にそれでいいんだろうかって、ものすご
くこだわってる。
でもそのこだわりは歪んでて、このままじゃ意味がない。
こだわる意味が……どこにもない。

そうさ。
僕は一番肝心なことを決められてない。

高橋先生にもさっき言われたし、瞬ちゃんやえびちゃんにも
同じことを言われてる。
何をするかは後で決めていいんだって。

でも……僕はそこに猛烈な違和感を感じたまま、全然クリア
出来てない。

単に生きてくだけってのを実現するなら、僕はその手段にこ
だわらないかもしれない。
でも、僕は『生きてく』んじゃなくて、何かをすることで自
分を『生かしたい』んだ。
それなのに、その材料もプランも何もない。

頭が極端に悪いとか、身体に障害があって出来ないとか、選
択出来ない理由がはっきりあれば、僕は割り切れる。

でも今は……。
何かを目指すことに支障はないんだ。
それはあくまでも、僕の努力次第。それなのに。

「く……」

僕は、きっと真っ青になってたんだろう。
重光さんに全力でどやされた。

「おまえも斉藤と同じか。この期に及んで、まあだふらふら
してやがる!」

うう……。

「けっ! けたくそ悪い野郎が最後の二人か。このままじゃ
あ俺は往生出来そうもねえ。寝覚めが悪いから、折伏してや
るよ。おまえらの腐った根性をな!」

え? 最後の二人? おまえ『ら』? しゃくぶく?
ど、どういうこと?

でも、重光さんは僕のクエスチョンマークなんか、全然気に
しないで、すたすたと歩き出した。

「説法は初日にしか出来ん。覚悟しやがれ!」





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