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三年生編 第109話(14) [小説]

まだ手術後がなまなましい膝に手を置く。

「ベストをイメージしたらだめだよ。ゼロからどこまで積
めるかを考えなさいってね」

「今は、全然わかんなくなったね」

「今は、ね。でも三年前は、動ける自分を想像できなかっ
た。喪失感がひどかったんだ」

「……うん」

「お母さんもそうだと思う。なんで、これまで当たり前に
やってたことがこなせないのって」

「うん。時々悔しそうにしてる」

「でしょ? でも、だんだん慣れる。動ける昔の自分じゃ
なくて、動けない今の自分にね」

「そうだよね」

「だから、大丈夫だよ」

ふふっという小さな笑い声が聞こえた。

「あ、そうだ。いっき」

「うん?」

「ミズヒキって草、知ってる?」

「いや……ちょっと待って」

ポケット植物図鑑を引っ張り出して、確かめる。
地味な草だなあ。タデ科、か。

「ふうん。どっかで見つけたの?」

「いや、林さんにもらったの。縁起物だからって」

「あ、そうか。紅白の水引きって言うもんな」

「そう。でも、それは花の時にしかわからないし、花もう
んと小さいから、注意しないと紅白に気づかないんだって」

「なるほどなあ。幸せっていうのは小さいから、探さない
と見過ごすよってことかあ」

「びんご」

しゃらが落ち着いた声で続きを話した。

「うちの店も、今日はいっぱいお客さんが来てお祝いして
くれたけど。すぐに平常運転なんだよね」

「うん」

「大繁盛でなくてもいいから、うちの店で髪を切りたいと
いう人がずっと途切れないでほしい。そういう人がいるこ
とをずっと喜べるようにしたい。お父さんがそう言ってた」

「大丈夫さ。開店するのを待っててくれた人がいっぱいい
るから」

「うん!」

最後は弾んだ声になったしゃらが、じゃあねと言って電話
を切った。

「ふう……」

さっきまで考えていた利英さんのことが、また脳裏に浮か
んだ。
距離を調整するっていうのは、楽なように見えて、本当は
すごくエネルギーがいるのかもしれない、と。

何もわからない人との距離は縮まらない。
その人との距離を調整しようと思うようになるのは、相手
から引力と反発を感じるからなんだ。
誰に対しても無関心を貫いてしまったら、その人は誰との
距離も縮められない。
距離を取るんじゃなく、取られてしまう。孤立する。

利英さんの持ってた自由でのびのびした空気は、人を引き
寄せる強い引力を作るんだろう。
引き寄せておいて、距離を調整する、か。
すごい高度なことだよね。

「僕にはできないよなあ……」



mzhk.jpg
今日の花:ミズヒキPersicaria filiformis



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