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【SS】 見えないプレゼント (高井 涼) (四) [SS]

 ホームセンター近くにあるドトールカフェ。小さなラウンドテーブルに差し向かいで座っていた菊田と高井が、交互にホットコーヒーをすすっている。菊田が高井に、小田沢へのお仕置きに関して説明を足した。

「あいつは……不幸なんだよ」
「不幸、ですか?」
「そう」

 わずかに残っていたコーヒーを飲みきった菊田は、カップを置くなりぐいっと腕を組んだ。

「リョウは高校をちゃんと卒業してる。でも、あたしは高校中退さ。あとで高卒資格はとったけど、まともに勉強してない。だから、自分が何もかも寸足らずだってことはよくわかってる」
「ええ」
「トレマに就職した時、一番困ったのはそこだったんだ。知識が足りないってことだけじゃない。礼儀とか商習慣とか客扱いとか、何も知らない。そして、誰も教えてくれなかった」
「えええっ? うそおっ!」
「ははは。嘘じゃないよ」
「じゃあ……誰から教わったんですか?」
「パートのおばさん」
「わ!」

 菊田が、高井のリアクションを見て目を細めた。

「上司は、あたしをバカにするだけで何も教えてくれなかった。でも、誰も教えてくれないなら自分でなんとかするしかない。あたしは、あがいたんだよ。すごく」
「そっか……」
「そんなあたしの窮地とあがきをちゃんと見てくれた人がいた。がんばるねって、評価してもらえたんだ。その人は素晴らしいパートさんだったの。奥田さんていうんだけど」

 菊田が細めていた目を完全に閉じ、そのまま昔話を続ける。
 
「奥田さんはあたしになんでも教えてくれた。礼儀作法、客扱い、段取りの決め方、販売戦略……。今は、上部があたしの仕事ぶりを高く評価してくれてる。でも、それはあたしの能力じゃない。おばさんが教えてくれたことの受け売りなんだよ」
「すごいなー」
「ははは。でも、リョウだってそうだろ?」
「確かにそうです。いい出逢いに恵まれたと思ってます」

 ぐんと頷いた菊田の声が、いきなり厳しさを帯びた。

「だけどね、小田沢にはまだそういう出逢いがないんだ」
「ええっ? そうですかあ?」
「そう。小田沢は大学を出てるけど、大学では社会人としてのノウハウまでは教えてくれないよ」
「ああっ!」

 がばっと立ち上がった高井に視線で着席を促した菊田が、穏やかに話を続ける。

「それがあいつにとっての不幸なんだよ。確かに空気が読めない、自分勝手なやつさ。でも、出来ないと知らないは違う。あいつのへまを何から何まで落ち度として責めることはできないんだ。お仕置きには手加減がいる」
「そうか……」

 菊田が、手にしていたティースプーンでカップの底を小さく小突きながら苦笑する。

「どっちかがくたばるまでのデスゲーム。さっきの駐車場でのやり取りを他の人が見たら、そう思うかもしれないね」
「違うんですか?」
「ゲームにすらなってないよ。あいつがあたしと競えるところはどこにもない。学歴が地位に反映されない世界で実績だけを並べたら、あいつにあたしを上回れるところがあるかい?」
「確かに……」
「だからあたしは、あいつが自分の不出来を誰かのせいにできないっていう状況を作った。それだけさ」

 一度話を切って、菊田がハンドバッグを膝の上に乗せた。中から小さなガラス瓶を取り出し、高井の目の前に掲げる。小さな光芒が高井の目をくすぐった。

「わ! きれいな石ですね。虹色に光ってる。何かの験担ぎですか?」
「いや、自分をいつも戒めようと思って持ち歩いてるんだ」
「戒め……ですか」
「そう。これはキャルコパイライト。黄銅鉱。本当の色は虹色じゃない。地味な黄色なんだよ」
「ええっ!?」
「不思議だろ? 錆びるとこうなるんだ」
「うわ。信じられない」

 かららっ。ガラス瓶の中で、きらきら輝く石が転がる。二人が、輝く石をじっと見つめた。

「見た目に美しいのはこっちの方さ。でも、こいつは錆びてるんだよ。社会人になるっていうのが、こういうことなら」
「あっ! 分かりました! 見かけだけそれっぽくなっても、中身は同じ……ガキのままって」
「そう。その落差が大きくなりすぎると破綻するでしょ」
「だから、小田沢さんの位置を強制的に下げたんですね」
「うん。あたしは嘘は言ってない。あいつ、本当にヤバいんだよ」

 ガラス瓶をバッグに戻した菊田は、車のキーとレシートを持ってゆっくり立ち上がった。表情は冴えない。

「あたしがどんなお仕置きをしたところで、あいつは社にいられる。でも、上があいつを要らないと判断したら……」
「そうか」
「あたしに、それを止める権限はないんだよ」

◇ ◇ ◇

 ぴっ。

 高井の家の前。小さな電子音とともに、菊田のワンボックスが腹を開いた。後部座席から軽やかに飛び降りた高井が、菊田に会釈する。

「菊田さん、送ってくださってありがとうございます」
「いや、あたしの無駄話に付き合わせちゃったからね」
「そんなことないですー」
「お? いい月だね」

 運転席から身を乗り出して夜空を見上げた菊田が、冴えた上弦の月を指差した。

「なあ、リョウ。あんたにはあれが笑ってるように見えるかい? それとも怒ってるように見えるかい?」
「うーん、笑ってるように見える……かな?」
「ははは。月の位置によっても印象が変わるし、あれを目とみなすか、口とみなすかによっても変わるよね」
「あ、そうですねー」
「でもね。もし笑ってるように見えたとしても」
「はい」
「それが嬉しいからなのか、バカにしてるからなのか、それは分からないんだよ。ちゃんと見ていない限り、ね」
「あ……」
「みんながみんな、怒りや不満をダイレクトにぶちまけるわけじゃないんだ。感情はまず視線の変化に現れる。あたしのお仕置きで、あいつが視線の怖さに気付いてくれればいいけどね」

 ふっと小さな溜息を漏らした菊田は。おやすみの一言を閉じていくウインドウで切り落とすと、すぐに車を出した。

 後に残された高井は、改めて月を見上げる。それから無邪気な月の笑みに抗議するようにして、大きな独り言を漏らした。

「菊田さん……そろそろ栄転なんでしょ? ねえ、違う?」

◇ ◇ ◇


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