SSブログ

三年生編 第97話(3) [小説]

中村さんが、銀縁眼鏡の向こうの目を細める。

「修行を終えて腕が水準を満たしたら、独立して自分の店
を持つ。それが多くの職人の夢さ。私もそうだった」

「長岡さんも当然そう考えるってことですね」

「そうだろさ。あとは、れなちゃんのプラン次第だよ。暖
簾を継ぐか、ゼロからやるか。こじんまり始めるか、いき
なり博打を打つか。一人でやるか、誰かと組むか。古典を
極めるか、創作菓子で攻めるか。菓子作りの腕前だけじゃ
ない。そういう人生設計をするのも腕のうちさ」

もう……何も言えません。

「まあ、れなちゃんの世代には、私らの世代にはない感性
や嗅覚がある。それを腐らすのは損だ。高校の友達との連
携も今後期待できるし、れなちゃんなりにいろいろ作戦を
考えるだろう」

「中村さんは、それでいいんですか?」

「いいも悪いもないよ。自力で飯を食うってのは、そうい
うことだ」

ごくり。

「まあ、私は経験も腕も、まだれなちゃんには負けない。
腕前が上回っているうちは、私に出来ることがあるから
ね。それでいいさ」

「そっかあ……」

「師匠から弟子へ。受け継がれていくものは技術だけじゃ
ないよ。職人としての心構えや世の中の見方、人脈の広げ
方、ピンチの切り抜け方、いろんなことを伝えないとなら
ん。まだまだこれからさ」

ほっとする。そっか。

もちろん、長岡さんが師匠の中村さんを放り出すことなん
かないと思うけど。
でも、中村さんの懐が深いと、その分自由に泳げる。
すごいよなあ……。

改めて、商品ケースの中を見回す。

「あ、そっか。夏のお菓子が終わって、ちょうど今は端境
期なんですね」

「そう。秋の菓子を作り始めるにはちょっと早くてね。
ペースを落としてる。そういう時期も必要だよ。季節もの
だからね」

「分かりますー。じゃあ、琥珀糖を買っていこうっと」

「いつもありがとうな」

「いいえー。寿庵のは本当においしいので」

実生や母さんが腹減ったーって帰ってくるだろうから、い
つもより多めにどっさり買った。
おいしいのに、単価が安いから助かるー。

「じゃあ、また来ますー。長岡さんにもよろしくお伝えく
ださい」

「いつも、ありがとうな」

「いいえー。それじゃ失礼します」

「お買い上げありがとうございました」

高校生の僕にも、丁寧に頭を下げる中村さん。
人柄の良さが滲み出てる。

自分を抑えるだけでも貫くだけでも、うまく作れない生き
方。
中村さんは、それをどうやって作ってきたんだろうなあ。

見えない人の形、心。
それってすごく厄介だと思うんだけど……見えないからこ
そ見ようとするんだよね。

気晴らしに来る前になんとなくもやもやしていたのが、だ
いぶすっきりした。

「さて。じゃあ、勉強モードに戻ろうっと」



nice!(59)  コメント(0) 
共通テーマ:趣味・カルチャー

nice! 59

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。