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三年生編 第97話(1) [小説]

9月13日(日曜日)

「……」

机の上の携帯は、ずっと沈黙している。
まあ常識的に考えて、伯母さんちから僕に何か連絡や報告
が入るってことはないよね。

伯母さんは、しゃら抜きで僕を弓削さんのケアに駆り出す
ことは諦めたと思う。
いや男どころか、シェアハウスのメンバー以外の女性とや
り取りすることすら、弓削さんはまだこなせないんだろう。

昨日りんとばんこに弓削さんを連れ出させたのは、仕事に
慣らすためじゃなくて、あくまでも人に慣らすため。
ケアの形は、サポートメンバーが変わるとどうしても変化
してしまう。
その度に弓削さんがゼロに戻っちゃったら、これまでの努
力が全部水の泡になるかもしれない。

弓削さんに、少しずつ変化に慣れてもらうこと。
どうしても、そのハードルをクリアしないと先に進めない
んだ。

でも、賭けなんだよね。
その変化がどんなに小さくても、弓削さんが自分を守ろう
として奴隷に戻ってしまったら、全部おじゃん。
昨日りんが言ってたみたいに、のるかそるかの賭けなんだ。

だから……どうしても気になってしまうんだよね。

「しゃあない」

家にいると、いろいろ余計なことを考えちゃう。

母さんも実生もバイトで外出。
父さんは新しいパソコンを見に行ったから、家には僕しか
いない。
昨日の模試の燃え尽き感が残ってるし、気分転換に外歩い
てこようかな。

シャーペンをノートの上に放って、椅子を降りた。
窓際に立って、天気を確かめる。

「うーん、微妙」

すぐ雨が降ることはなさそうだけど、雲が厚くなってきた。
遠出は出来ないね。

「もうすぐ、秋の長雨……かあ」

◇ ◇ ◇

実生がバイトに行ってるから、リドルはやめとこう。
久しぶりに寿庵覗いてくるかな。

玄関を出てドアに鍵をかけ、振り向いて伯母さんちの玄関
を見やる。

「……」

すぐ手の届くところにあるのに、別の人が住み、別の人生
を送ってる家。
普通は、家が自分と他人をそうやって区切っていることに
安心するんだろう。
誰もが必要だと感じる自分だけの空間。
それが家であっても、部屋であっても同じことだ。

でも……。
それは心にちょっと似ているのかもしれない。
家や部屋にこもっている間は、誰かがいきなり踏み込んで
くるってことがない。安心出来る。
だけどその間は、姿が誰からも見えないんだ。

心が小さくなっちゃってる弓削さんだけじゃない。
ひょうきんでエネルギッシュなりんやばんこだって、その
心の全てをさらけ出してるわけじゃない。
もちろん、伯母さんだってそう。

みんなが傷つきたくなくて隠している心の中には、そうそ
う入れない。
入っていいよっていうサインが出ない限りね。

伯母さんは、僕が他人のテリトリーに入ることに慎重だっ
て言ったけど、慎重なんじゃないよ。怖いんだ。
実生ほどじゃなくても、自分の生(なま)を出したくない
という気持ちはいつもあるし、人には無神経に踏み込んで
欲しくない。

家族以外だと、無邪気に僕に踏み込んできてるのはしゃら
だけなんだよね。
そのしゃらだって、心のどこかに不信感をいつも抱えてる。
僕と同じ。たとえ相手が僕でも、全部は見せてない。
しゃらだけの部屋にこもっているものも……きっとあるん
だろう。

心。こころ。見えても見えなくても人を不安にするもの。

「ふう……さて。行こっと」




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