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三年生編 第83話(5) [小説]

光輪さんは、生まれたばかりの赤ちゃんの顔をじっと見つめ
る。

「俺も見並も、後継ぎの話さえなければもうちょい真っ当な
人生送れたかもな。でも、今更それぇ愚痴ってもしゃあない
さ」

聞いていいものかどうか、だいぶ迷ったんだけど……。

「あの、光輪さん、奥さん。お坊さんになったり、家を継い
だりしたのは……懺悔のためですか?」

「違う」

すぱっと。光輪さんが否定した。

「前も言ったっろ? 俺は一生親を許すつもりはねえ。だか
ら坊主になったんだ。俺の中の鬼は、俺が坊主じゃねえと抑
えらんねえんだよ」

「そ、そっか!」

「わたしも……違うかな」

奥さんは、少し寂しそうに微笑んだ。

「心がぼろぼろだったあたしでも出来ること。それが……う
ちの畑を耕すこと。それだけなの」

「……」

「まともに学校に行かないで、遊んでばっかだったあたしに
出来る仕事なんかなんもないよ」

奥さんは、何度も大きな溜息を漏らした。

「甘くない。ほんとに……甘くない。後継ぎは、遊んで暮ら
せる? そんなわけないじゃん」

うん……。

「親父やお袋が生きてる間はなんとかなるけどさ。そのあと
は、全部自分でやんないとなんない。畑仕事なんかしません、
出来ませんじゃあ、すぐに野垂死にだよ。あたしは、他に何
もやれないんだから」

光輪さんの言葉も奥さんの言葉も、とんでもなく苦かった。

誰かに償うためじゃなく、自分の人生のために、生活するた
めに働いてる。その動機は、他の人と何も変わらないと思う。
でも……。

二人にとって、お坊さんと農家として働くことは決して楽し
いことではないんだろう。
それなのに、職を子供に継がせるの?

ああ、だからさっき光輪さんが言ったんだ。
なるようにしかならないって。

ずっしり重くなった空気に嫌気がさしたのか、しゃらがす
ぱっと話題を変えた。

「あのー、娘さんのお名前は?」

そうそう。
それを聞いてなかったんだ。

奥さんの表情が、ぱっと明るくなった。

「あはは! めっちゃめちゃ揉めてねえ」

げー……。

「光輪さんとですか?」

「まさかー。ダンナはなんでもいいってさ。だからあたしが
一生懸命考えたんだけど、親父とぶつかってねえ」

ひりひりひり……。

「折れたんですか?」

「そんなわけないじゃん。あたしの勝ち」

奥さんが、にやっと笑う。

「むつみ。親睦の『睦』に美しい」

「わ! かわいい名前ですー」

「でしょ? 親父の考える名前はみんなキラキラでさあ。論
外だよ」

どてっ! 思わずぶっこけた。

「普通、逆じゃ……」

「あはは。親父も、どっかぶっ飛んでるからねえ」

ぶつくさ言いながら、それでも奥さんから尖った感情がこぼ
れて見えることはなかった。
僕は、そのことにものすごくほっとする。

二人とも、全ての悪感情を飼い慣らしたわけじゃないんだろ
う。
でも、生まれたばかりのかわいい赤ちゃんに自分たちの汚い
垢を付けたくない。光輪さんや奥さんの態度や言葉から、そ
ういう決意みたいなものがくっきり見えて。

……すごく潔いなって思った。



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